「箱根大権現」と「深良用水」:350年の時を超えて 【彰義隊の発起人・須永伝蔵シリーズ⑥】

~神と人が拓いた奇跡、現代の技術者も驚愕する1.28kmのトンネル~

 

「深良用水・トンネル内部の様子を再現したジオラマ」  ※深良用水特別展(https://www.city.susono.shizuoka.jp/soshiki/4/5/11/1/1479.html)より
「深良用水・トンネル内部の様子を再現したジオラマ」  ※深良用水特別展(https://www.city.susono.shizuoka.jp/soshiki/4/5/11/1/1479.html)より
「深良用水リーフレット」(裾野市教育委員会)
「深良用水リーフレット」(裾野市教育委員会)
「深良用水リーフレット」(裾野市教育委員会)
「深良用水リーフレット」(裾野市教育委員会)

◆通水350周年記念 世界かんがい施設遺産深良用水 20200520

(YouTubeチャンネル:静岡県裾野市より)

「深良用水」は、1670年に完成し、平成26年(2014年)に世界かんがい施設遺産として登録され、令和2年(2020年)4月25日には通水350周年を迎えました。

 


◆「深良用水(ふからようすい)」について

「深良用水(ふからようすい)」は、約350年前の、江戸時代に造られた農業用水で、「箱根山」を貫通する全長1,28kmの隧道(トンネル)です。箱根用水(はこねようすい)とも呼ばれます。

 

◆江戸時代初期、駿河国の深良村(現・静岡県裾野市)は水不足に悩まされていました。

この状況を解決するため、深良村の名主「大庭源之丞(おおば げんのじょう)」は、芦ノ湖の水を灌漑用水に利用することを考え、江戸の商人「友野与右衛門(ともの よえもん)」に工事を依頼しました。 

 

◆江戸浅草に住んで商売をしていた「友野与右衛門」は、駿府の出身で、新田開発の経験もあり、いわゆる「甲州流の水利法」を会得し、資力もあり企業心も旺盛な人物であったといわれています。

 

「芦ノ湖」は、古くから「権現御手洗の池(ごんげんみたらしのいけ)」と神聖視され、湖上で神事が執り行われてきました。そのため、芦ノ湖から導水するには箱根神社の許可が必要でした。

寛文3年(1663)2月、友野与右衛門・宮崎市兵衛・松村浄真ら3人の元締は、もし目的が達成されたら、新田のうち200石を御神領として献上するという約束のもとに、「箱根神社」に立願状(りつがんじょう)を奉納しました。

 

◆その後、友野らは、幕府老中らへの働きかけを行い、寛文6年(1666)にようやく幕府及び小田原藩から用水開削の許可を得ることができました。

 

芦ノ湖取水口と用水吐け口の「隧道掘削出会い地点」  ※通水350周年記念 世界かんがい施設遺産深良用水 20200520動画より(https://youtu.be/_qN2m1UvRl4)
芦ノ湖取水口と用水吐け口の「隧道掘削出会い地点」  ※通水350周年記念 世界かんがい施設遺産深良用水 20200520動画より(https://youtu.be/_qN2m1UvRl4)
「完成隧道平面・断面図」  ※通水350周年記念 世界かんがい施設遺産深良用水 20200520動画より(https://youtu.be/_qN2m1UvRl4)
「完成隧道平面・断面図」  ※通水350周年記念 世界かんがい施設遺産深良用水 20200520動画より(https://youtu.be/_qN2m1UvRl4)

 

◆友野与右衛門らを元締として、寛文6年(1666)8月に「箱根山」を掘りぬく全長1,28kmトンネル工事が「芦ノ湖取水口」と「深良村」の2か所で始まり、4年の歳月をかけて、寛文10年(1670)2月に無事完了しました。

 

◆さらに田畑を潤すために水路や堰を整備し、「深良用水」の全体が完成するのは寛文11年(1671)のことです。「深良用水」のおかげで、深良村の外28か村、約500町歩(500ha)に及ぶ大規模な新田が開発されました。

 

◆箱根峠の下に当たる結合点ではわずか1mの誤差しかなく当時の土木工事の水準の高さが窺えます。建設機械やコンピュータもない時代、当時の土木工事や測量の技術の高さを物語っています。

 

その後、友野与右衛門をはじめ、その仲間の元締たちは、念願であった名田を残すこともなく、以降の消息は途絶えてしまったそうです。

しかし、地元惣ヶ原新田や、西隣の納米里村の人々は、元締たちが立ち去ったあとも、忘れ去ることはなく、正徳元年(1711)の彼岸に、追慕の念を込めて石仏と石碑を作り、地域の恩人である元締たちを供養しました。

 

◆平成26年(2014)、「深良用水」が「世界かんがい施設遺産」として登録されました。

 

◆令和2年(2020)、通水350周年の節目を迎えました。

 


◆「芦ノ湖水神社(あしのこ すいじんじゃ)」(駿東郡長泉町上土狩惣ヶ原)

「惣ヶ原 芦ノ湖水神社」(静岡県駿東郡長泉町上土狩618−2)  ※※『裾野市史(第6巻)資料編・深良用水』より
「惣ヶ原 芦ノ湖水神社」(静岡県駿東郡長泉町上土狩618−2)  ※※『裾野市史(第6巻)資料編・深良用水』より

明治34年(1901)4月には、芦ノ湖の神霊と、水利組合の基礎作りに身命を捧げられた先覚者の霊をまつるために、「芦ノ湖水神社」(静岡県駿東郡長泉町上土狩618−2)[MAP]が創建されました。

 

ご祭神は、

水の神・罔象女神(みつはのめのかみ)と、

▼「友野与右衛門(ともの よえもん)・長浜半兵衛(ながはま はんべえ)・尼崎嘉右衛門(あまがさき かえもん)・浅井次郎兵衛(あさい じろべえ)」の4人の元締、

▼深良村名主「大庭源之丞(おおば げんのじょう)」

の五柱の霊です。

 

毎年8月1日に駿東郡長泉町上土狩区(すんとうぐん ながいずみちょう かみとがりく)の人たちによって例大祭が行われています。

 



◆「芦ノ湖水神社」に祀られている石仏、石碑~恩人である「元締」の人たちへの慰霊の気持ち~

正徳元年(1711)、地域の恩人である友野与右衛門らの元締を祀った2体の「石仏」と2基の「石碑」。現在は「芦ノ湖水神社」に祀られています。  ※「深良用水の沿革(新版)」(喜多川龍男 編、1979年)より
正徳元年(1711)、地域の恩人である友野与右衛門らの元締を祀った2体の「石仏」と2基の「石碑」。現在は「芦ノ湖水神社」に祀られています。  ※「深良用水の沿革(新版)」(喜多川龍男 編、1979年)より

※電子書籍「深良用水の沿革(再版)」(喜多川龍男 編、静岡県芦湖水利組合、1979年)より

 

正徳元年(1711)、地域の恩人である友野与右衛門らの元締を祀る「石仏」や「元〆水仁碑」が元締屋敷のあった駿東郡上土狩村惣ヶ原(今の駿東郡長泉町)に造立されました。

現在は「芦ノ湖水神社」(長泉町上土狩惣ヶ原)に祀られています。

 

石仏は2体あって、一体は、「浮彫の地蔵尊像」で、“ 施主納米里村 ”と記されています。古くは「元締地蔵」と呼ばれていたそうです。

もう一体は、「丸彫の弥勒菩薩の坐像」です。

 

石碑も二基あって、一基は中ほどで斜めに折れ、正面には「南無阿弥陀佛」と彫られています。

もう一基は、完全な形を保っており、元締の名前は「須崎源右衛門」が加わっており、元締が5名となっています。正面には “ 箱根湖水元〆水仁 ” と彫られています。

 

 


◆深良村・名主「大庭源之丞」の墓所

「大庭源之丞(おおば げんのじょう)」の墓所(裾野市深良の「松寿院」付近)  ※「深良用水パンフレット」(深良用水編集委員会、2015年)より
「大庭源之丞(おおば げんのじょう)」の墓所(裾野市深良の「松寿院」付近)  ※「深良用水パンフレット」(深良用水編集委員会、2015年)より

◆「箱根神社」 ~関東総鎮守・箱根大権現~

 

「箱根神社」は、「箱根神社」と「箱根元宮」、「九頭龍神社」があり、この3つの神社を総称して「箱根三宮」と呼びます。古来、「関東総鎮守・箱根大権現」と呼ばれ、鎌倉幕府や後北条氏、足利氏、徳川家康など、名だたる武将から篤い崇敬が寄せられてきました。

 

『筥根山縁起并序(はこねさんのえんぎならびにじょ)』(1191年成立)によると、およそ2,400年前の孝昭天皇の時代に、聖占上人(しょうぜんしょうにん)が、箱根最高峰の「神山」(神が降臨する所)を遥拝できる「駒ヶ岳」山頂に「神仙宮」を開いたことにはじまります。

 

●その後、奈良時代の天平宝字元年(757年)に、万巻上人は、朝廷の命を受けて箱根山の山岳信仰を束ねる目的で箱根山に入山しました。万巻上人は修験道に精通しており、仏教と神道を結びつける「神仏習合」の先駆者でもありました。万巻上人は、箱根山で修行を行い、神仏の力を感得することで、「箱根三所権現」(僧侶、俗人、巫女(女性))を祀る社殿を建立しました。これが現在の箱根神社の起源とされています。

万巻上人は、土着の信仰や神(山岳信仰・修験道・九頭龍信仰)を尊重しながらも、それを仏教的価値観の中に昇華させました。

 

◆【箱根神社・祭神】

① 天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

② 妻の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

③ その子の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)

3神を総じて「箱根大神」と称え、祀る神社です。

 

◆【箱根元宮の祭神】

「箱根元宮」は、「駒ヶ岳」山頂に鎮座し、神体山「神山」を拝する、箱根神社 の「奥宮」です。古くから「山岳信仰の霊場」としても知られています。

 

① 天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

② 妻の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

③ その子の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)

3神を総じて「箱根大神」と称え、祀る神社です。

 

◆【九頭龍神社(本宮・新宮)の祭神】

九頭龍大神(クズリュウオオカミ)

 

《九頭龍伝説》

芦ノ湖がまだ万字ヶ池と呼ばれていた奈良時代以前、箱根の村には、毎年若い娘を選んで芦ノ湖に棲む9つの頭をもつ毒龍に人身御供として差し出すという習慣がありました。

「箱根山」で修行中の万巻上人が、このことを知ると、法力で毒龍を改心させて村人たちを救うと決意しました。 万巻上人(まんがんしょうにん)は、湖畔で経文を唱え毒龍に対して人身御供を止めるように懇々と仏法を説きました。

ついに毒龍は宝珠、・錫杖・水瓶を携えた姿で湖から出現すると、過去の行いを詫びたと云います。

万巻上人はそれでも鉄鎖の法を修し、龍を湖底の「逆さ杉」に縛り付け、仏法を説き続けたのです。

龍は、もう悪事はせず、地域一帯の守り神になる旨を約束をします。

万巻上人は龍の約束が堅いことを知り、「九頭龍大明神」としてこの地に奉ることにしました。

 

その満願の日とは6月14日(旧暦)。そのため九頭龍神社「本宮」の祭りは、毎年6月13日が例大祭、毎月の13日が月次祭であり、毎年7月31日には「湖水祭」が行われています。

また、箱根神社の境内にある九頭龍神社「新宮」の月次祭は、毎月15日に行われています。

 

「湖水祭」は往古より箱根神社固有の特殊神事として継承されており、今でも芦ノ湖の「湖水祭」では、人身御供に代えて赤飯を湖に捧げています。

三升三合三勺の赤飯(御供)を納めた唐櫃を御供船に載せ、逆さ杉のところで湖底に沈め龍神に献じます。このお櫃が浮かび上がってくると、龍神が人身御供を受け入れなかったとされ、災いが起きると言われています。(※Wikipediaより) 

 

「箱根三社」(箱根神社・箱根元宮・九頭龍神社)
「箱根三社」(箱根神社・箱根元宮・九頭龍神社)
「箱根神社・歴史」
「箱根神社・歴史」

◆1663年、友野与右衛門らが提出した「箱根神社への立願状」~元来、芦ノ湖の「水利権」は、「箱根権現」のものだった~

寛文3年(1663)、友野与右衛門・宮崎市兵衛・松村浄真の3名の元締が提出した「箱根神社への立願状」(箱根神社所蔵)
寛文3年(1663)、友野与右衛門・宮崎市兵衛・松村浄真の3名の元締が提出した「箱根神社への立願状」(箱根神社所蔵)

※電子書籍「通水350周年記念誌 世界かんがい施設遺産 深良用水の歴史」(2020年)p48より

 

寛文3年(1663)2月、友野与右衛門・宮崎市兵衛・松村浄真の3名の元締は、箱根神社の別当である「快長」を通じ、「箱根大権現」・「東証大権現」へ立願状を提出しました。もし目的が達成されたら、新田のうち200石を御神領として献上するという約束のもとに、芦ノ湖からの導水の許可を求めました。

 

「箱根神社」は古来、「箱根権現」と称した古社で、「関東総鎮守」と尊崇された祭神「箱根大神(はこねのおおかみ)」を祀っています。

 

「箱根権現」は、平安時代から山岳信仰の霊場として栄え、多数の山伏や僧兵を擁して勢威を振い、鎌倉時代以降は頼朝をはじめ関東の武将の尊崇もあつく、国司不入の地として領主の権威にも屈しない格式をもっていました。

平安時代から神仏習合が進み、当時は、「箱根権現」の別当職は、神宮寺「金剛王院東福寺(こんごうおういん・とうふくじ)」の住職が代々就任していました。「快長(かいちょう)」は、その第50代別当でした。

(※当時、金剛王院は、京都「仁和寺」の管理下にありました。)

 

◆「芦ノ湖」と「箱根権現」の深い繋がり

友野与右衛門らが「箱根権現」に立願したのは、芦ノ湖が「箱根権現」と深い関係を持つ神聖な湖だったからです。芦ノ湖は古来、「権現御手洗の池」と呼ばれ、毎年湖上で湖神を祀る神事が行われていました。

そのため、用水事業を実現するには、「箱根権現(現在の箱根神社)」から芦ノ湖の取水許可を得ることが不可欠だったのです。

※電子書籍「深良用水の沿革(再版)」(喜多川龍男 編、静岡県芦湖水利組合、1979年)p12より

 


約350年の時を超え、今もなお人々の暮らしを潤す深良用水。

江戸時代の先人たちの、水不足という困難に立ち向かう強い意志と、驚くべき技術力によって築かれたこの壮大な水利システムは、まさに偉業と呼ぶべきものだと思います。

 

芦ノ湖の神聖な水脈から導かれたこの恵みは、単なる農業用水という枠を超え、人々の信仰心と自然への畏敬の念によって支えられてきた歴史を刻んでいます。

 

「箱根権現」への導水立願という行為は、当時の人々にとって、自然の力を借り、事業の成功を祈る真摯な表れであり、芦ノ湖と地域住民、そして神々との深いつながりを示すものでした。

 

この豊かな恵みをもたらす芦ノ湖は、静岡県と神奈川県、両方の地域の人たちにとってかけがえのない水源です。

 

深良用水が歴史をつないできたように、この美しい湖と共に歩み、その恵みを次の時代へと繋げていくべき時なのかもしれません。

 

かつて箱根権現が地域の人々の暮らしを見守り、水の恵みを与えたように、現代の私たちもまた、県境を越えて手を取り合い、芦ノ湖という貴重な財産を称え、新たな共存の形を築いていくことが大切なのではないかと感じました。