~金鑚神社の令和6年の「神迎祭」は、11月30日(土) の深夜から12月1日(日) の早暁にかけて行われました~
「神迎祭」は、旧暦11月1日に行われる伝統行事です。この日は、全国の神々がそれぞれの神社に戻られるとされています。
旧暦10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれ、神々が出雲大社に集まるため各地の神社には神がいなくなるといわれています。一方、出雲大社ではこの月を「神在月(かみありづき)」と呼び、神々が集まって「神議り(かむはかり)」と呼ばれる重要な会議を行うのだそうです。
そして旧暦11月1日には、その会議を終えた神々がそれぞれの土地に帰り、地元の神社でお迎えする儀式が「神迎祭」です。
金鑚神社(埼玉県本庄市)の今年の「神迎祭」は、11月30日(土) の深夜~12月1日(日) の早暁にかけて行われました。
金鑚神社は、「本庄宿」の総鎮守として地域の人々から親しまれている神社です。
社伝によれば、欽明天皇二年(541年)に創立されたと伝えられています。
武蔵七党の一つ、「児玉党」の氏神として、また本庄城主たちからも篤い崇敬を受けてきました。
◆金鑚神社・大鳥居
金鑚神社・大鳥居の社号額は、松平定信の揮毫です。
◆旧別当「威徳院」の総門(本庄市指定文化財)
大鳥居の正面にある大門は、金鑚神社旧別当「威徳院(いとくいん)」の総門でした。
明治維新後に威徳院が廃寺となったため、金鑚神社が管理保存しています。
この大門は文化11年(1814)、戸谷半兵衛によって建立されたと伝えられています。
各所に19世紀初期の作風を示す素晴らしい彫刻が配されています。
◆金鑚神社の「開運福くま手」と景品
参拝後、金鑚神社神迎祭の「開運福くま手」と、景品をいただきました。
(景品は、本庄商店街の氏子の方たちが毎年金鑚神社に奉納しているものです。)
(金鑚神社神迎祭にていただいた景品)
今年は、「小渕捺染(おぶちなっせん)」さんからの景品でした。「金鑚神社」の文字と「神紋」が描かれた貴重な小物入れをいただきとてもありがたいです!
小渕捺染さんは、1949年の創業。現在は主に神社の大のぼりや幕、祭りを彩る半纏、飲食店の顔となる暖簾やひよけ、日常で使用する手ぬぐい、エプロン、座布団カバーなどを手染めにて製造されています。近年では、デザイナーとコラボレーションをし、新商品の開発にも力を注がれているとのことです。
金鑚神社の境内には、埼玉県指定の天然記念物であるクスノキの巨木が鎮座してます。この御神木は幹回り5.1メートル、高さ約20メートル、樹齢約400年と推定されています。
本庄城主小笠原信嶺の孫・小笠原政信(おがさわら まさのぶ)が1639年の社殿建立の記念としてクスノキ・カヤ・モミの木を献木したものと伝えられています。
元和9年(1623年)、台町にあった金鑚神社は久城堀の洪水被害を受けました。その後、寛永16年(1639年)、本庄宿の総鎮守である金鑚神社を深く崇敬していた小笠原政信が寄進し、社殿を現在の宮本町に移して再建しました。
(※宮本町に遷座される前、一時的に戸谷八郎左衛門の屋敷へ仮遷座していたとも伝えられています。)
宮本町への金鑚神社社殿建立の記念として、小笠原政信はクスノキを献木しました。
クスノキは現在も金鑚神社の御神木として大切に祀られています。
「神迎祭」は、旧暦10月に神々が出雲に集まって会議を行い、そして旧暦11月1日に地元へ戻ってこられるのをお迎えする儀式です。
神々をお迎えするというこの荘厳な神事には、日々の生活の中でつい忘れがちな感謝や、長い時間とのつながり、「見守られている」という感覚などを、改めて思い起こさせてくれる力があるように感じました。
金鑚神社の「神迎祭」を訪れることで、本庄の人々が何世代にもわたりこの行事を大切に受け継いできた歴史に触れるとともに、年末の忙しさから少し離れ、古来より続く神々とのつながりを静かに感じる時間を過ごすことができてとてもありがたかったです。
※『神迎祭』については、こちらの記事もご覧ください。(出雲大社での神事についても取り上げさせていただきました。)