~『JAZZ 爺 MEN』・『たった一度の歌』という、傑作地域映画を本庄にて作られた宮武由衣監督。当日は、宮武監督の舞台挨拶があり、撮影時の貴重なお話をお聞かせいただきました。~
~黒木瞳さんが演じる、“魔女さん”と呼ばれる香水屋の店主・白石弥生によって授けられた、言葉と香水の香りが、女性(若林恵麻役の桜井日奈子さん)を輝かせ、成長へと導く物語~
◆映画『魔女の香水』
~2023年6月16日(金) TOHOシネマズ 日比谷 他全国ロードショー~
出演:黒木瞳 桜井日奈子/平岡祐太
水沢エレナ 小出恵介 落合モトキ 川崎鷹也 梅宮万紗子/宮尾俊太郎 小西真奈美
監督・脚本:宮武由衣(みやたけ よりえ)
製作統括:菅原智美(すがはら ともみ)
音楽:小林洋平(主題歌:川崎鷹也「オレンジ」ワーナーミュージック・ジャパン)
撮影監督:髙間賢治 JSC
調香シーン監修:大沢さとり
製作:吉田宣仁 重友玲央哉 安里公夫
プロデューサー:佐倉寛二郎 近藤誠
ラインプロデューサー:泉知良
キャスティング:増田悟司
製作補:宮武令衣 森朋子
照明:上保正道
録音:弦巻裕 JSA
美術:岩本一成
編集:岩切裕一
助監督:谷口正行
題字:赤松陽構造
製作:358 プロジェクト セルミュラー Luckness ハイブリッド
協賛:DMM オンラインクリニック にしたんクリニック BJC トリアイナ
制作:クロスメディア
配給:アークエンタテインメント
(※敬称略)
©2023 映画 『魔女の香水』 製作委員会
上映時間:119分
【魔女の香水公式サイト】:https://majo-kousui.jp/
(映画『魔女の香水』予告編)
【物語】
白髪の美しく高貴な上品さを漂わせる女性・白石弥生(黒木瞳)が香水店で2つの香水を見せながら常連客を相手に語っている「世の中には似て非なるものがたくさんある」。
一方、華やかなセレブ達が集まっているバンケットホールで派遣社員として奮闘する若林恵麻(桜井日奈子)。高卒の恵麻は、いつか正社員になって、一流の仕事を与えられることを目標に頑張っていたが、後輩の見習い女性への上司のセクハラ行為を抗議したことで職を失ってしまう。自暴自棄になった恵麻は、夜の街のスカウトマンに連れられ「魔女さん」と呼ばれる弥生の店を訪れ、その店を手伝うことになった。
ある日、金木犀の香り漂う男性・横山蓮(平岡祐太)と巡りあう。弥生に授けられた言葉と香りによって自分の人生を切り開くのは自分自身だと気づかされ、天職を探し求めるように香料会社で働き始める恵麻すっかり香りの世界に魅了されていく恵麻は、営業先で蓮と再会することに―。
映画の各シーンで、白猫が登場していて、香水店の魔法的な魅力をより深いものにしていました。
白猫の演出は、黒木瞳さんのアイディアだったそうです。
映画『魔女の香水』公開決定記者会見(2022年12月13日)の中で、黒木瞳さんが魔女について、
「魔女には怖いとか、悪さをするイメージがあります。でも、調べると黒魔女と白魔女がいるので、白猫を出したらどうかと提案して、受け入れてもらいました。」(※映画『魔女の香水』公開決定記者会見(前編)動画・13:00より)
◆7月8日、ユナイテッド・シネマ ウニクス上里にて舞台挨拶をされた宮武由衣(みやたけ よりえ)監督
~”出会いが大切”とおっしゃる宮武監督
(本庄の大学院で映画を学ばれ、映画監督として、本庄の一般の方々も巻き込んで行われた第一弾となる映画づくりの経験が、今回の『魔女の香水』にもつながっています)~
【宮武由衣監督の舞台挨拶】
●遂にここに帰ってきた。宮武監督の第二の故郷・心の故郷本庄拠点地域、上里で、上映できてうれしい気持ちでいっぱいです。
●エメラルド俱楽部の代表の「菅原智美」さんとの出会いについて
2年前に、今回の映画の製作統括の菅原智美さんに2年前に出会ったことが最初のきっかけです。
菅原智美さんは、女性経営者1800人の自立した女性の会『エメラルド俱楽部』の代表です。
最初、菅原さんにお会いしたのは、輝いている女性たちを取材したい、番組を作りたいという思いで取材をさせていただいた。菅原さんは、テレビではなく、今後、「宝となって歴史に残っていくような映画を作ってみたい。」とおっしゃられました。
●「黒木瞳」さんとの出会いについて
黒木瞳さんは、感動を与えてくださったすごい女優さんです。
この作品がご一緒するのが4作目。黒木瞳さんとの最初の出会いの時は、NHKさんの『ファーストラヴ』という、深層心理に切り込んだようなすごく難しい作品でした。その時に黒木さんをとても重要な役でお迎えしました。
黒木さんと実際にお会いして、この方って、すごい作りたい、クリエイター精神にあふれる素晴らしい女優さんであることがわかりました。
黒木さんがお手紙をくださいとおっしゃって、私もその役について長いお手紙を書いて、現場に入る前も一時間位お話をしました。そうやって作り上げた作品を黒木さんがご覧になって、ものすごい感動したというお手紙をいただきました。
こんなにベテランの方がこんなに役に真剣に取り組んでくださって、こんなふうに熱いメッセージをくださるということにものすごく感動したという出会いがありました。
何か機会があったら、私の大切な作品には黒木さんに絶対に出ていただきたいんだという思いがいつもあって、そして、この映画を作るということになって、そこにぜひ黒木さんに主役でやっていただきたいという願いのもと、この映画を作らせていただきました。
●“9つの香水”というアイディアについて
香水に番号を付けて、そこにメッセージを伝えていくというのは私のアイディアというか、発明に近いというか。突然いろんなことが融合して思い付いたという感じです。
まず、商いのバイブルになるものだったり、女性の生き方のバイブルになるものだったり、先人たちの格言とか、そういう形で言葉を散りばめていきたいなという思いがありました。女性経営者の方の書かれている本もいろんなものを読ませていただきました。
ただ、それとともに、香りを表現するという課題があって、まったく最初は結び付いていなかったんです。
これは本当に結び付くのかなと思い取材を重ねていたところ、「推し香水」さんという商売をされているところがあり、そこでは、香りにストーリー性を持たせて、香りを伝えていることを知ったんです。
香りには、「トップ-ミドル-ラスト」というものがあって、香っていく時間が、時間差で変わっていくんです。
「トップ-ミドル-ラスト」で、ストーリー性を持たせられるということを、その取材で知りました。
よくよく考えると世の中のブランドというか、香水のブランドは、メッセージや、コンセプトがつまっていて、調香師さんの伝えたいこと、ブランドの伝えたいことが、ものすごく入っていることにだんだん気付いてきまして、香水にぜんぶそれを込めればいいんじゃないかと、ふとある時、気付いたんです。
最初は一つの香水の謎を解明するというようなストーリーにしようと思っていたんですが、全部に番号を付けていって、そして最後に謎の№9があるというふうにすればいいんじゃないかというふうに途中で思い付きました。
●「358プロジェクト」さんと「№9の香水」について
ご一緒した、映画を応援してくださって出資もしてくださっている「358プロジェクト」さんという、菅原智美さんが代表をされている会社が、なんと、この映画から誕生した香水を実際に商品として開発して、映画の公開と同時に販売もしてくださいました。
№9は、あまりにも難しすぎて、ちょっと開発が間に合わなかったということで、これから発売してくださるだろうということで今研究中とのことです。
●宮武監督の映画の原点となった「本庄」について
『JAZZ 爺 MEN』は、地元の方と一緒になって、たくさんの一般の方のリアルな思いと一緒になって作った作品でした。そこに運命を感じて、映画に挑戦してみたいというのが最初の発端でした。
そこから2年かけて、エメラルド俱楽部の皆さん、黒木瞳さん、スタッフの皆さん、私の監督人生の中でも、素晴らしいご縁をいただいた方とのいろんな運命と巡り合いとが重なって、この映画ができたと思っています。
「魔女役」の黒木瞳さんとふれあうことによって、人生を切り開いていくのが、「恵麻役」の桜井日奈子さんです。
まさに、私の人生が流転の人生なので、いろんな場所を転々として今のTBSスパークという会社にいて、たくさんの方に出会ってこの映画を作らせていただきました。
人との出会いで運命というのは変わっていくと思いますし、自分が思い続けていれば、いろんな方々が一緒になって乗り掛かってくださったりだとか、運命を自分のものにしていくのも自分の考え方ひとつとも感じています。
本庄のいろんな人との出会いから『魔女の香水』にまでつながっています。本庄は本当に育てていただいた場所なんです。
◆宮武 由衣(みやたけ よりえ)監督
映画『魔女の香水』監督・脚本。早稲田大学教育学部理学科数学専修卒業後、早稲田大学大学院国際情報通信研究科安藤研究室で映画を学ぶ。株式会社TBSスパークル所属(バイススペシャリスト/チーフディレクター)。映画やドラマの現場で演出やプロデューサーとして活躍。 監督・脚本を手掛けた劇場映画に、『JAZZ爺MEN』(2011) 東京国際女性映画祭出品、韓国提川国際音楽映画祭出品、『たった一度の歌』(2018)高崎映画祭出品などがある。
◆「エメラルド倶楽部」代表 菅原智美さん
日本最大級女性経営者の会 (社)エメラルド倶楽部 代表理事 :(株)358プロジェクト 代表取締役
平成22年 起業2年目に設立したエメラルド倶楽部は、現在 全国に8ヶ所に支部があり約1800人の女性経営者の会員が在籍中。令和4年(株)358プロジェクト設立、代表取締役就任。女性活躍支援の為のサクセスストーリー映画 ”魔女の香水”を制作するとともに、映画から生まれた香水プリエール香水を発売。日本 No1の香水ブランドを目指す。今後、日本全国および海外へ販売展開予定。17ヵ国が加盟する世界女性経営者の団体 (社)IWFCI 日本支部代表理事も務める。
◆菅原智美さんが女性経営者を応援するために立ち上げられた、日本最大級の女性経営者の会「エメラルド俱楽部」
「エメラルド俱楽部」は、会員数約1800名の日本最大級の女性経営者の会です。
代表の菅原智美さんは、「⼥性が活躍する社会を創りたい」という想いから2009年に、「エメラルド俱楽部」を⽴ち上げられました。
全国に8支部を設置し、海外の女性経営者の会とも提携する、女性経営者のグローバルネットワーク組織です。
志が⾼く成⻑意欲のある⼥性経営者が集結し、交流を通して助け合い、お互いを⾼めていく場となっています。
◆『令和の虎』にも出演された菅原智美さん
映画の製作統括を務められた菅原智美さんは、人気のYouTube番組「令和の虎」に志願者として出演し事業プレゼンされ、完璧な事業プレゼンにより見事にALL(1,000万円)を獲得されたということで、話題にもなっていました。
番組の中で、菅原智美さんは、女性たちに夢を与えて、応援したいという思いからこの映画を作られたとおっしゃられていました。
「映画自体は、女性たちに勇気を与えて、一歩踏み出す勇気、そして心を動かすような映画は人生を変えるような力があるものだと思うんですよね。そんな、見た方に人生が変わるきっかけとなるような映画にしたいという思いでこの映画を作りました。」
菅原さんは、映画『魔女の香水』公開決定記者会見の中で、「見る人に夢と希望と、一歩進みだす勇気を与え、バイブルとなるような映画として、全国そして、世界にも発信していきたい」とおっしゃっています。
※令和の虎「映画『魔女の香水』を上映し日本一女性に愛される香水ブランドを設立したい。」
※映画『魔女の香水』公開決定記者会見(2022年12月13日)
◆菅原智美さんが映画『魔女の香水』をきっかけに創設した「358プロジェクト」
さらに、菅原智美さんは、製作統括として映画に携われると同時に、この映画のために、映画『魔女の香水』に登場する香水を、実際の商品ブランドとして誕生させる「358プロジェクト」を立ち上げられました。
映画『魔女の香水』に登場する香水が実際に、商品ブランドとして生まれた香水が 「Parfum de Prières(パッファン ド プリエール)」です。
“祈り”という意味のプリエールという言葉を用いて、ブランド名は 「Parfum de Prières(パッファン ド プリエール)』。
※魔女の香水に登場する香水は、下記の「358プロジェクト」様ホームページから購入できます。
https://358project.com/product/
《魔女の香水「Parfum de Prières(パッファン ド プリエール)」、№1から№9までのストーリー》
◆一つ目の香水は、〈Plaisir(プレジール)〉。 なにごとも楽しむ。
◆二つめの香水は、〈Présage(プレサージュ)〉。相手の心を想像する。
◆三つめの香水は、〈Vigueur éternelle(ヴィゲウール エテルネル)〉。 無限の力。
◆四つめの香水は 〈L'école de Cupidon(レコレド キュピドン)〉。 恋愛は学び。
◆五つめの香水は、〈Légende(レジェンド)〉。伝説を作れ。
◆六つめの香水は、〈Conquête(コンケット)〉。 時代に革命を。
◆七つめの香水は、〈Fortune(フォーチュン)〉。目先の利益より未来の財産。
◆八つめの香水は、〈Chance(シャーンス)〉。 ピンチはチャンス。
◆最後の九つめの香水、ナンバー9は、〈A tout jamais pour les êtres chers(ア チュ ジャメ ポル レ エトロ シェール)〉。 榊への愛。愛する人のために。
◆映画の調香シーンの監修や所作の指導を担当された、国内外で評価の高い「パルファンサトリ」の調香師 大沢さとりさん
~調香師のオルガン台や、香りのピラミッド、調香シーン、素敵な香水瓶など、数々の素晴らしい香りのシーンの表現~
「PARFUM SATORI(パルファン サトリ)」は、日本人調香師・大沢さとりさんが手掛けるフレグランスブランドです。
華道教室を営むご家族のもと、華道・茶道・香道などに慣れ親しんできた華道の師範であり、茶道の茶名を取得し、香道も情熱を持って学んでこられた大沢さとりさんは、これまで日本の風土に合った香りを追求してこられ、他の海外ブランドにはない静けさ、奥ゆかしさが感じられる香りは、国内外で高く評価されています。
※「PARFUM SATORI(パルファン サトリ)」さんのウェブサイト
大沢さとりさんの日本の伝統や感性を生かした香水は、香水評論の世界的な権威であるルカ・トゥリンと、タニア・サンチェスによる『世界香水ガイドIII』にも掲載され、驚異的な高評価を獲得した日本人唯一の調香師さんです。
「香水界のミシュランガイド」の異名を持つ『世界香水ガイド』にて、大沢さとりさんの調香された香水が、4つ星を獲得されています。
◆香りのトライアングル
~時間による香りの変化~
「香水は一つの成分でできているのではありません。たくさんの芳香成分から成り立っています。それぞれは異なる沸点をもち、揮発速度も異なります。したがって、一本の香水からは次々と違う匂いが上がってくるのです。
香水(類)をシュッと吹いた後、匂いはつけたてから時間の経過に伴って少しづつ変化していきます。これを「匂い立ち」と呼び、最初5分から30分くらいに立ちあがってくる匂いを「トップノート」、その次の3~4時間くらいまでの匂いを「ミドルノート」、最後に残る香りを「ラストノート」と呼びます。」
◆『魔女の香水』パンフレット
宮武由衣監督からサインをいただきました。
◆映画『魔女の香水』原作本
◆◆目次◆◆
プロローグ
第1章 〈オー デ メルヴェイユ〉の香り
第2章 天職
第3章 快進撃
第4章 愛の行方
第5章 アロマタイズ
第6章 最後の一音
エピローグ
解説と感想 大沢さとりさん
【解説と感想】の中で、「パルファンサトリ」の大沢さとりさんは香水を創ることに関して以下のように述べられています。
「一つの香料が一つの音符となって、いくつかが合わさって和音を作り、それらがさらに連なって旋律を奏でる…。
香水を創ることはしばしば作曲に例えられます。 また、香料を絵の具に見立てれば絵画表現のようであり、『ことば』に置き換えれば詩や文学にもなぞらえうる、芸術のひとつです。(中略)
調香には、たくさんの香料を覚え、組み合わせるといった訓練が必要です。
しかし技術だけでなく、歩んだ人生が感動の多いものであればあるほど、作品は光彩を放つ美しいものになるでしょう。香水をデザインすることは、他の全ての芸術と同じ、クリエーションの世界なのです。(p221)」
「香りのクリエーションは、まず自分のうちから湧き出てきたイメージを持つことから始まります。感動、喜び、興味、楽しさ。 そんなことからイメージを描き、より具体的に、緻密に埋めていく。私が調香を学ぶときに教えられたことです。
そうして作ったものは、技術が未熟なうちは期待とはかけ離れたものです。ですがそれが『違う』とわかることによって、その差を埋めるために何度でも修正して、経験と技術を磨き、やがて近づけることができるのです。(p222~223)」
◆杉山榮子さんの香水専門店『MARISOL(マリソル)』
~三島由紀夫さんや、美空ひばりさん、美輪明宏さん、安室奈美恵さん、木村拓哉さん等多くの著名人が足を運ばれたそうです~
映画『魔女の香水』の企画の源流は、 2013年に宮武由衣監督が撮ったドキュメンタリー『みんなのまち 渋谷』の取材で、宮武監督が、渋谷百軒店(ひゃっけんだな)の香水店「MARISOL(マリソル)」のオーナー 杉山榮子さんにインスピレーションを感じたことにあったとのことです。
取材当時、杉山さんは、既に70歳を越えていたということですが、その佇まいは凛として、とても素敵で、宮武監督は、一目で杉山さんの魅力に魅了されてしまったとのことです。
映画では、素晴らしい香水店の中で、黒木瞳さんが見事に、ミステリアスで温かい魔女の雰囲気を演じていらっしゃいました。
宮武由衣監督と黒木瞳さんとは、NHKBSプレミアムで放送された『ファーストラヴ』(2020年2月22日放送)がご縁で、今回の映画制作につながったといいます。
『ファーストラヴ』終了後、宮武監督は、黒木瞳さんから「素晴らしい監督と出会えて嬉しかった」というお手紙をいただいたとのことです。
宮武由衣監督は、黒木瞳さんについて以下のように述べていらっしゃいます。
「ものすごく感動しました。黒木さんとお会いして、業界に入って一番尊敬できる方というか、人生の恩人というふうに私は思っております。そんな黒木さんと映画を作れるチャンスが巡ってきたので、なおかつ、黒木さんは年を重ねても本当に美しくて、表現も素晴らしくて、女性としての憧れのような存在だと思っています。女性の生き方というのはたくさんあると思うのですけれども、生き方に迷っている女性が、一つの指針というか、バイブルになるような映画にしたいなという思いがあって、その時に黒木さんを圧倒的なインパクトで登場させたいという思いがあって、そこから発想していきました。」(※映画『魔女の香水』公開決定記者会見・前編より〈7:00〉)
映画を通して、調香師という職人の方の存在を初めて知りました。
多くの方の人生に寄り添い、その人にとって最高の香りを生み出す素晴らしい手仕事だと思いました。
(『ファーストラヴ』DVD ・NHKエンタープライズ)
※黒木瞳さんがナビゲーターを務められる『あさなび』(ニッポン放送ラジオ)に宮武由衣監督が出演(2023年6月9日)されました。
「映画監督の宮武由衣さんに聞く映画の舞台裏」の内容については、こちらをご覧ください。
→https://www.1242.com/asanav/asanav_blog/20230609-298153/
◆髙間賢治(たかま けんじ) 撮影監督
髙間賢治撮影監督は、「ラヂオの時間」「ナビィの恋」「みんなのいえ」「デスノートthe last name」 などの話題作を撮影してこられた日本を代表する撮影監督です。
髙間賢治さんは、「撮影監督というシステム」*を日本映画業界に持ち込んだパイオニアでもあります。
(* 撮影監督がカメラと照明をコントロールするシステムのこと。)
宮武由衣監督は、早稲田大学で数学を学ばれたあと、本庄の早稲田大学大学院で映画を学ばれました。
髙間賢治さんのゼミの一期生だったとのことです。
宮武由衣監督の『JAZZ 爺 MEN』(2011年)に続き、劇場映画3作目となる今回の映画『魔女の香水』においても髙間賢治さんが撮影監督をなさっていて、温かくて透明感のある素晴らしい映像美を表現されていました。
黒木瞳さんと宮武由衣監督とが出会うきっかけとなった、NHKBSプレミアムの『ファーストラヴ』(演出:宮武由衣さん・2020年2月22日放送)や、TBS『ドキュメンタリー解放区#33《The Soul of Swan Lake》』(演出:宮武由衣さん・2022年8月7日放送)を再編集して映画化した『東京SWAN 1946~戦後の奇跡「白鳥の湖」全幕日本初演~』 (TBSドキュメンタリー映画祭 2023・宮武由衣監督・2023年3月17日公開)においても、髙間賢治さんが撮影監督をなさっていて素晴らしい作品となっています。
【髙間 賢治氏】
1949年東京都生まれ。東京都立大学在学中より若松プロで撮影助手を始める。79年『月山』で劇映画デビュー。81年文化庁芸術家在外研修制度により渡米、 1年間撮影技術を学び、 日本映画界に 「撮影監督」という概念を持ち込む。 主な撮影監督作品に、『1999年の夏休み』 (88)、 『風の又三郎 ガラスのマント』(89) (共にヨコハマ映画祭撮影賞)、『就職戦線異状なし』 『渋滞』 『12人の優しい日本人』 (91)、 『ラヂオの時間』(97 , 日本アカデミー賞優秀撮影賞)、『ナビィの恋』 (99)、 『みんなのいえ』(01)、 『アイデン&ティティ』 (03)、『DEATH NOTE デスノートthe Last name』 (06)、『白い馬』 (08, ポーランド映画祭子供審査員撮影賞)、『春との旅』 (10)、 『JAZZ 爺 MEN』 (11)、『漫画誕生』 『一粒の麦一荻野吟子の生涯』(19)、『山中静夫氏の尊厳死』(20)、『祈り-幻に長崎を想う刻』(21) など。 翻訳書に『マスターズ・オブ・ライト完全版』がある。
(左)『撮影監督ってなんだ?』(髙間賢治氏著、 晶文社、1992年)・(右)『撮影監督 髙間賢治の映画撮影記』(髙間賢治氏著、玄光社、2018年)
◆宮武由衣監督の“本庄発”の映画第一弾『JAZZ爺MEN』(2011年公開)
宮武由衣監督の初作品である、本庄発の地域映画『JAZZ 爺 MEN』は、2011年に、ユナイテッド・シネマウニクス上里で約8週間上映されました。当時、『ハリーポッター』も上映していましたが、『JAZZ 爺 MEN』は、その『ハリーポッター』を抜いて、興行成績が1位になったという伝説の映画作品です。
(『JAZZ 爺 MEN』DVD)
第1弾 本庄拠点地域映画『JAZZ爺MEN』(2011年10月29日公開)
映画のエグゼクティブ・プロデューサー:
岡田隆行・川上芳男・佐々木輝伸・阿久根裕行
監督・脚本:宮武由衣
出演:井上順、河原さぶ、上田耕一他
撮影監督:髙間賢治 JSC (『ラヂオの時間』『ナビィの恋 』『デスノート』)
音楽:磯田健一郎(『ナビィの恋』『ホテルハイビスカス』)
美術:和田洋(『限りなく透明に近いブルー』『GO』)
製作総指揮:吉田信解
制作:イメージフィールド
製作:彩の国本庄拠点フィルムコミッション「本庄拠点地域映画製作委員会」
(※敬称略)
本庄市の町おこしのために結成された即席市民ジャズバンドを通して、不器用に生きてきた大人たちがそれぞれの人生に向き合っていく姿が描かれています。
◆宮武由衣監督『たった一度の歌』(2018年公開)
(『たった一度の歌』DVDと、劇中歌「永遠の川」CD)
第2弾 本庄拠点地域映画『たった一度の歌』(2018年6月22日公開)
映画のエグゼクティブ・プロデューサー:
岡田隆行・川上芳男・志村茂・佐々木輝伸・蓮沼康永
監督・脚本:宮武由衣
出演:高橋和也、岡田浩暉、UEBO他
撮影監督:猪本雅三
音楽:小林洋平
美術:和田洋
製作総指揮:吉田信解
製作:映画「たった一度の歌」制作委員会
(※敬称略)
◆本庄にかつてあった重厚な演劇・映画館『常盤座(ときわざ)』
~銀座通りに一等地にあった「常盤座」(1916年1月-1965年頃)。
劇場の建物解体後の「ときわスーパー」として営業していたことを覚えている方もたくさんいらっしゃると思います。現在は同じ場所にて「北海亭」として営業中です。~
(※写真は、『目で見る本庄・児玉の100年 』郷土出版社 より)
「常盤座(ときわざ)」は、本庄市街地の中心、「七軒町秩父新道(現在の銀座通り)」に面して建てられ、威容を誇った洋風建築です。
大正から昭和の戦中・戦後にかけて、本庄地域における娯楽の殿堂として親しまれました。
大正7年(1918年)3月24日の時局演説会では、渋沢栄一翁も来館されました。(東京日日新聞)※『本庄市史』より
義理人情の「股旅物(またたびもの)」は古くから人気がありました。
婦人観客の髪型がこの年代の特徴を表しているとのことです。
「常盤座」は、劇場と寄席を兼業していましたが、映画の普及に伴って、映画館になりました。
昭和初期は、無声映画で、ステージに弁士が立ち、ステージ下のボックスから楽隊が伴奏しました。
【本庄における芝居小屋・劇場・映画~江戸時代から続く大衆伝統芸能の土壌】
江戸時代、中山道「本庄宿」には、芝居小屋がありました。
2019年9月16日(月)に放送された、NHKのファミリーヒストリーの中で、中村梅雀さんのご先祖さんは、本庄出身と紹介されていました。(※詳しくはこちらをご覧ください。)
◆昭和の最盛期には、本庄市に「4つもあった映画館」
①電気館
(後の「第二常盤座」・1914年-1968年頃・電気館通り)
※本庄に映画常設館が最初に誕生したのは「電気館」(1914年)。1940年に「第二常盤座」に改称。
②常盤座
(1916年1月-1965年頃・銀座通り)
※「丸山座(1911年)」が「常盤座」の前身。「丸山座」の前身は七軒町の芝居小屋「宮森座」。
③本庄文化劇場(本庄文映)
(1950年4月-1985年頃・本庄駅前通り)
④本庄シバタ東映
(1958年12月10日-1980年2月・本庄駅前通り)
※「常盤座」は松竹系、「第二常盤座」は大映系、「本庄文映」は洋画・日活系、「シバタ東映」は東映系。
(「電気館」は1914年に開館し、1940年に「第二常盤座」に改称。1968年頃まで営業しました。電気館から中山道へ向かう通りは、“電気館通り”、“伊勢崎道”、“寺坂通り”、“第二常盤通り” 等と呼ばれました。)
この4つのうちの一つである「本庄文映」は、本庄で3番目にできた映画館(1950年開館)です。
「本庄文映」と戸谷八は関係がありました。そのため、新しいタイトルの映画が公開予定になるたびに、戸谷八のお店の横側で、映画の予告看板を置いたり、宣伝チラシなども置かせていただきました。
私が中学生の頃まで「本庄文映」が営業されていました。「本庄文映」にて、家族や友達と一緒に映画を楽しんだのが懐かしく、良い思い出として残っています。
◆「宮武由衣監督」と「本庄地域」の幸運な出会い。
●宮武監督の「消えいくもの」へのやさしい眼差し
宮武由衣監督は、舞台挨拶の中で、「本庄での映画作りをずっと原点として大切にしている」とおっしゃってくださいました。
今回の新作映画『魔女の香水』では、主演の黒木瞳さんを通して、カタチのない「香り」が持つ魅力と、それが時間とともに消えていく儚さを、宮武監督の緻密な構成力によって見事にスクリーン上に表現しています。
「香水」そのものを題名に入れた映画は、ありそうでほとんどないとのことです(フランス映画にひとつだけあるそうです)。それだけ、「香水」というテーマで映画を作ることはむずかしいのだと思いますが、宮武さんは、「香水」というテーマを離れることなく、様々な方々の協力を得ながら、見事に感動的な映画を作ってくださいました。
宮武由衣さんが、本庄地域映画として初めて企画したとされる『神泉中学校☆吹奏楽部』では、廃校が決まり消えゆく運命にあった「神泉中学校」を実際に訪れ、その佇まいに感動したことから物語のインスピレーションが降り、シナリオを書き上げたそうです。宮武さんは、「消えいくもの」へのやさしい眼差しをもって、常に映画を作られています。(「消えいくもの」へのやさしい眼差は、『JAZZ 爺 MEN』や『たった一度の歌』においても、重要なテーマとなっています。)
●「小さな町としての本庄」と「新進気鋭の映画監督」の化学反応
宮武監督が渾身の力を込めて書き上げた『神泉中学校☆吹奏楽部』のシナリオは、仲間たちの評価も高く、有名俳優が率先して参加を表明してくれるほど、すばらしい出来栄えでした。しかし、その後の詳細な検討により、本庄発の映画として制作するには、予算と準備期間が全く足りないことが判明し、監督はこのシナリオを泣く泣く諦めることになったそうです。
このような経緯は、ある一面では非常に残念なことですが、ある一面では、この経緯のおかげで地域映画の傑作、『JAZZ 爺 MEN』が生まれたのですから、本庄にとっては、(あるいは、宮武監督自身にとっても)非常に幸運なことでした。
これが、小さな町としての本庄ではなく、県庁所在地のような大きな町であったならば、予算も十分に集めることができ、順調に、練りに練り上げた『神泉中学校☆吹奏楽部』のシナリオが採用されて、特に大きな困難もなく宮武由衣さんの映画監督人生が始まったことだと思います。
ところが、宮武監督が映画監督人生を始めたのは、小さな町であり、「境界の地(きわの地)」とも言える本庄でした。予算はもとより、宮武さんをサポートした地元本庄の方達も、映画産業とは全く関係ない人生を歩んできた素人の方ばかりでした。宮武監督にとっては不安と困難に満ちたスタートでしたが、このような状況から映画作りが始まったのです。
しかし、この「新進気鋭の映画監督」と「地元本庄の素人助っ人集団」との交流から予測不能の化学反応がおき、それが傑作地域映画『JAZZ 爺 MEN』の誕生につながったのです。その意味で本庄という町はなかなか面白い場所で、器の大きな町とも言えると思います。
(『JAZZ 爺 MEN』では、無謀な程、町おこしが好きな「お調子者」が何人も出てきたり、『たった一度の歌』では、本庄のことを「死んだような町」だと主要人物がつぶやくシーンがでてきます。本庄の方たちはこのようなセリフをも受容し、物語の幅を持たせるためにはむしろ必要なものだと考える懐の太さがあります。)
繰り返しになりますが、初めての本格的な監督作品を本庄地域で作ろうとした時の宮武監督の置かれた状況は、困難そのものでした。
しかし、宮武監督の持ち前のバイタリティーと、本庄人の温かい人情がうまく相互作用し、映画作りは進展しました。
なにより、宮武監督は「本庄での自分自身のドタバタ経験を、実際の映画『JAZZ 爺 MEN』に反映させる」という卓越したアイディアをもって、ユーモアと愛情を込めてスクリーンに見事に表現しました。その結果、地元本庄の方々はもとより、他の地域の方々の心にも届く、普遍性をもった、感動の映画『JAZZ 爺 MEN』が誕生しました。
(販売されたDVDに付属の制作ノートによれば、渾身の作である『神泉中学校☆吹奏楽部』の企画が、急遽没になったため、『JAZZ 爺 MEN』のシナリオは二日間徹夜でなんとか書き上げ、プレゼンの締め切りにギリギリ間に合わせたとのことです。また、撮影も、1日のリハーサルと7日間の撮影で終わらせなくてはいけないという、過酷で絶望的な状況の中、奇跡的なチームワークによって、無事に7日間で撮影を取り終えることに成功したと記されています。)
●「マジョリー(多数者)が現在を作り、マイノリティ(少数者)が未来をつくる」。
若い頃に渋沢栄一翁に薫陶を受け、後に戦後の日本社会の立て直しに「経済界の立場」から大いに貢献した、本庄と縁の深い大実業家に、諸井貫一氏がいます。
諸井貫一氏は、「少数者」としての「本庄地域」の歴史的経験を踏まえて、次のような格言を残しています。
「マジョリーティ(多数者)が現在を作り、マイノリティ(少数者)が未来をつくる。」
私事ですが、メディアの取材で「本庄地域」の特徴について聞かれると、必ずこの言葉を引き合いに出し、本庄地域はずっと「少数者」の立場であったと伝えています。
私の先祖が本庄に初めて来た約460年前、戦国大名だった「上杉氏」「北条氏」「武田氏」は、既にマジョリーティ(多数者)の立場にありました。それに対し、この本庄の地域は、ずっと「少数者」の立場にありました。そのような中、本庄宿を開拓した「花の木18軒」と呼ばれる人々が苦労しながらも希望を失わず、仲間同士協力しあって、未来に繋がるまちづくりを地道に進めてきたと伝えられています。
その結果、江戸後期には、中山道最大の宿場町にまで本庄を発展させることに成功しました。
本庄地域の人たちは「少数者が未来をつくる」と信じ、この言葉にずっと勇気付けられてきたのです。
この話は、テレビ番組の取材を実際に行う制作会社の方々にも共感されることが多いようです。
お話を伺うと、テレビ業界にも同様の構造があるとのことです。
たとえば、上場する大手の「〇〇テレビ」の正社員が「上杉氏」や「北条氏」に相当する「多数者」とするなら、実際の番組制作を担う「制作会社」の社員たちは、立場が流動的で「少数者」にあたるのだと感じているそうです。
それでも、「今少数者である自分たちこそが、テレビ業界の未来をつくるのだ」という気概をもって、苦労しながらも希望を持って楽しんで奮闘していると、おっしゃっていました。
(その信念からか、テレビ局関係者の集中力には、私も何度も驚かされています。)
●未来を拓く宮武監督の常に新しいことに挑戦する映画作り。
今回の新作映画『魔女の香水』でも、宮武監督は「少数者の立場」から、未来を切り拓く新しい挑戦に果敢に取り組んでいます。テーマは、今まで映画として扱われることが少なかった、「香水の香り」というカタチのないものです。
その奥深さを表現するために、「調香師のオルガン台」や、店内の雰囲気、いつも猫がいる店先など、細部に至るまで非常に細やかな配慮がなされています。主演の黒木瞳さんの神秘的な雰囲気とも相まって、香水の香りの世界が、美しくスクリーン上に立ち上がってきます。
また、『魔女の香水』は、失業した若い女性(桜井日奈子さん)の成長物語としても楽しめる作品です。物語のリアリティや、現代の女性が直面する課題、ビジネスの厳しさなどを描くにあたって、菅原智美さん(製作統括)が代表を務められる、女性経営者の会「エメラルド倶楽部」の皆様から、映画への出資だけではなく、貴重な意見も多数いただいたそうです。
マスメディアではあまり注目されませんが、女性が経営者として成功するまでの道のりは非常に困難を伴います。今回、「エメラルド倶楽部」の会員の皆様から、その成功のプロセスや実体験をもとにしたアドバイスをいただいたことで、『魔女の香水』はより生き生きとした物語となりました。これは新しい映画づくりの手法の一つと言えると思います。
女性が経営者として成功するまでのプロセスは非常に困難をともなうことだそうです。今回、「エメラルド俱楽部」の会員の皆様から成功までの実際の事例や、声を多くいただくことができたおかげで、『魔女の香水』がよりいきいきとした物語になったという経緯なども、あたらしい映画作りの手法にあたると思います。
「本庄での映画作りをずっと原点として大切にしている」とおっしゃる宮武由衣さんは、今回の新作『魔女の香水』では、本庄時代の映画作りと比べ、何十倍にもあたる規模で、あたらしい挑戦を行い、見事に感動的な映画を生み出しました。
●「本庄3部作」完成を期待しています!
~『JAZZ 爺 MEN』『たった一度の歌』に続く、宮武監督の手による本庄を舞台にした
新しい感動映画が、いつの日かできるのを熱望しています~
2011年にオール本庄ロケの『JAZZ 爺 MEN』で劇場映画デビューを果たした宮武由衣監督。
『JAZZ 爺 MEN』での成功を受け、地元の強い要望のもと監督2作目にあたる『たった一度の歌』が劇場公開されたのが2018年。
「宮武由衣監督」と「本庄地域」は幸運な出会いを果たし、宮武監督の作品によって、本庄地域の人々は、多くの感動をいただきました。
「消えいくもの」へのやさしい眼差をいつも持っている宮武監督によって、本庄を舞台にした新しい感動映画が、いつの日かできるのを熱望しています。