~伝統織物、カリフォルニア州出店、「諸井家」、前衛音楽、本庄まちNET、ものつくり大学、ネコの五原則、プロバスケ、アウラ(芸術用語)~
◆ワンダーファブリック 今井俊之さん
今井俊之さん(上里町出身)は、日本の伝統織物や着物の生地を使用したCAPデザイナーです。
これまでは、オンラインストアでのみの販売を行われていたのですが、このたび、本庄市の旧家「諸井家」が昭和9年(1934年)に開設した「旧仲町郵便局」(国登録有形文化財)にて、新店舗を立ち上げられることになりました。
(現在改装中で、2023年3月(仮)にオープン予定とのことです。)
●2015年、試作開始、着物の解体やクリーニング、生産までの基盤作りを行う
●2016年、製品完成と同時にブランド設立、オンラインストアオープン
●2016年、原宿にて期間限定POPUPSHOPオープン
●2016年、米国セレクトショップH.Lorenzoにて発売開始(現在は企画終了)
●2017年、原宿にて期間限POPUPSHOPオープン
●2018年、自社工房設立
●2019年、自社生産商品の販売開始
●2019年、埼玉県主催香港SOGO販売会
今井さんは、2016年に、CAPブランド「W@NDERFABRIC®(ワンダーファブリック)」を設立し、2018年に、埼玉県本庄市にて自社工房を立ち上げられました。独学でCAP作りを学んだ後、これまで、オンラインストアにて、西陣織や、桐生織、伊勢崎銘仙、大島紬等、日本の伝統生地や着物の生地を使って、一つ一つ手作りで製作した作品を販売してこられました。
埼玉県の伝統的手工芸品に指定されている地元の「本庄絣」(ほんじょうかすり)ともコラボレーションされています。(※ワンダーファブリック様ウェブサイト「本庄絣」へ。)
※ワンダーファブリック様ウェブサイト
WEB:
STORE:
https://wonderfabric-store.com/
※ワンダーファブリック様 Instagram
https://www.instagram.com/wonderfabric_japan/
◆織物の世界に新しい風をもたらしている今井俊之さん
今井俊之さんは、日本の伝統生地を守ることで、国際理解につなげたいと考えられています。
「日本の織物は世界に誇る技術と美しさがあります。柄や色には意味があり、日本人のアイディンティティが詰まっています。ただ、現代ではそれを知る事、触る事が出来ません。
産まれ育った国の伝統やルーツを知る事やファッションとして身近に使う事で、伝統を守る織元や職人を守る事に繋がります。産まれ育った国の伝統を誇りに思う事で、他国の文化も大事に思い、グローバルなコミニケーションの一部となる事を信じています。」(※ワンダーファブリック様ウェブサイト「CONCEPT」より)
【米国カリフォルニア州L.A.のセレクトショップH.Lorenzoにて発売開始】2016年
~世界中からも注目を集めている最高峰のセレクトショップにて今井さんのCAPが販売~
【行列のできる法律相談所にてバックストリート・ボーイズさんに帯CAPをプレゼント】2019年3月
【ドイツTVからの取材】2019年11月
今井さんには、その他、素敵なニット帽やコースターをいただきました。
ありがとうございます!!
◆本庄絣(埼玉県伝統的手工芸品)
「本庄絣」草木染め手織りストール【黒澤織物様】(たて糸に「雨絣技法染」の糸を使用)
「本庄絣」名刺入れ【古澤織物様】(「縛り絣」の技法)
本庄市は江戸時代は、「中山道最大規模の宿場町」として繁栄し、明治以降は、「生糸や繭の産地」として栄えました。
副業として織物を作る農家も多く、本庄に住む人にとって機織りは身近なものでした。
「本庄絣」は、本庄市および児玉郡下で産する絹織物です。もともとは、伊勢崎市の伊勢崎銘仙の賃織り(ちんおり)を行っていた農家の娘が、野蚕(やさん)を使って自家製糸を行い、ふだん着として太織(ふとおり)を製織(せいしょく)したのが始まりといわれています。
工程のほとんどが手作業で行われ、絹糸を染めてから織物を織る「先染め」によって作られています。
昔ながらの機織り機を使い、絹の風合いを生かした手作りの絣として伝統工芸士が手織りで作成します。
手括り絣(てくくりがすり)・板締絣(いたじめがすり)・解し模様絣(ほぐしもようがすり)等、単純な絣柄(かすりがら)から精密な絣模様(かすりもよう)まで、色々なものが作られています。 出来上がる織物はすべて一点ものとなります。
現在では、「本庄絣(ほんじょうかすり)」として埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。
時代の流れもあり、現在では「黒澤織物」さんと「古澤織物」さんの二軒のみが今もその伝統を受け継いでいます。
※黒澤織物さんによる「本庄絣」の実演につきましては、こちら(伝統工芸開館物産館さんの facebook)をご覧ください。
※「埼玉県民手帳 2023年」に紹介されている『本庄絣』
2023年「埼玉県民手帳」の【埼玉の伝統的手工芸品】のページには、県内には地域の風土と歴史に育まれ、人々の暮らしの中にも今も受け継がれている数多くの伝統的手工芸品があるとして、「本庄絣」が紹介されていました。
※同ページには本庄絣の他に、小川町・東秩父村の「小川和紙(細川紙)」や、越谷市の「越谷ひな人形」、飯能市・入間市の「飯能大島紬」も紹介されていました。
※「埼玉の伝統的手工芸品」についてはこちら「ちょこたび埼玉(埼玉県公式観光サイト)」をご覧ください。
◆黒澤織物様
~「埼玉伝統工芸士」の黒澤仁さんと黒澤かつ代さんが心を込めて織り上げた技の品~
黒澤 仁さんと黒澤かつ代さんご夫妻は、独自の織りを究めるために、25年間勤務された伊勢崎の織物工場から独立し、昭和55年にお二人で起業されたとのことです。
絹糸にこだわりながら、多様な伝統技法を用いて織り上げられる黒澤織物様の「本庄絣」は、本庄が世界に誇る美しい伝統工芸品のひとつだと思います。
平成6年:黒澤 仁氏(埼玉県伝統工芸士認定)
平成26年:黒澤 かつ代氏(埼玉県伝統工芸士認定)
平成2年全国繊維技術展通産大臣賞受賞
平成8年埼玉県伝統的手芸工芸品産振興知事賞受賞
平成12年埼玉県繊維製品求表展知事賞受賞
平成19年埼玉県繊維製品求表展知事賞受賞
【参照】
・藤井美登利先生の記事「NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を今に伝える県境の魅力めぐりその10(本庄絣・黒澤織物~繭からのきもの作り~本庄市)」
◆黒澤織物様とワンダーファブリック様のコラボレーションで生まれたCAP
「埼玉県本庄市で”本庄絣"の伝統と伝承を続けている黒澤織物。
珍絣、解模様絣、手くくり絣・板締絣・捺染加工絣などが特徴で、絹の風合いを生かした先染めから機織りまですべての工程を手作業で行っています。
様々な工程を手作業で行ったその反物には職人のこだわりと品とぬくもりを感じられます。
今回ご提供頂いた着物生地は伝統工芸士黒沢仁氏の考案、製造された着物生地を特別に使わせて頂きました。」
ワンダーファブリックの今井俊之さんは、黒澤織物様が織りあげた「本庄絣」を使ってCAP製作をなさっています。
伝統織物との連携で生まれた帽子からは、やさしい自然の風合いと、力強い覚悟が感じられます。
(今井さんの本庄での制作風景)
◆『旧本庄仲町郵便局』(国登録有形文化財)
●明治4年(1871年)、日本の近代郵便制度が創業。
●明治5年(1872年)、前島密の依頼により、10代諸井泉衛(せんえい)が自宅に、「本庄郵便取扱所」を開設。初代郵便局長となる。
●明治10年の慈恩寺火災により諸井家焼失。
●諸井泉衛は、大工を横浜につれていき洋館を観察させた上で、明治13年(推定)に現在の「諸井家住宅」(埼玉県指定文化財)を建設。当初は「本庄郵便局」として居宅と兼ねていました。
●郵便局の局長職は、初代局長:諸井泉衛氏、2代:逸郎氏、3代:恒平氏、5代:貫一氏と受け継がれる。
(※戸谷家12代目の戸谷 間四郎は、3代目諸井 恒平氏と5代目諸井 貫一氏の間に4代目郵便局長をしていました。)
●昭和9年(1934年)、「本庄仲町郵便局」が諸井恒平氏によって建て替えられる。
●平成10年(1998年)、「本庄仲町郵便局」(昭和9年に建て替えられたもの)が「国の登録有形文化財」となる。
●令和元年(2019年)12月2日、「本庄仲町郵便局」は中央2丁目のスーパービバモール本庄内に移転し、「ビバモール本庄郵便局」と改称。旧郵便局は閉鎖となる。
●令和5年(2023年)3月21日、「旧本庄仲町郵便局」内にて、今井俊之氏が「W@NDERFABRIC®(ワンダーファブリック)」の工房兼新店舗をリニューアルオープン。
◆東諸井家
「諸井家一般公開資料」(平成9年11月2日本庄駅北口まちづくり研究会)をもとに作成
【真ん中】諸井泉衛
【写真左側】逸郎・恒平・時三郎・四郎
【写真右側】泉衛の妻佐久・(佐久の抱いている)六郎・寿満・なみ
本庄の名家「諸井家」は、渋沢栄一翁とも関係が深く、江戸時代には、中山道本庄宿で代々「鳥見役」を務められ、明治期には、繭市場の開設、郵便事業や煉瓦、鉄道、セメント事業と日本の近代化に大きく貢献されました。
その後も外交官、書道家、前衛音楽家、芸術劇場館長等、多才な方々を輩出されています。
諸井泉衛は、前島密の依頼により、明治5年(1872年)、自宅に「本庄郵便取扱所」を開設し、初代本庄郵便局長に就任しました。
明治5年(1872年)、官営富岡製糸場が設立されると、初代場長であった尾高惇忠により、本庄の諸井泉右衛門らに生繭の買い付けを依頼しました。このことから本庄は繭取引の拠点に設定され、中山道を中心に繭の集散地として繁栄しました。
第6回本庄まちゼミ『老舗15代目が語る中山道本庄宿』では、本庄の名家「諸井家」をテーマとして、渋沢栄一翁と縁が深く、実業家・外交官・作曲家・芸術劇場館長などを輩出した諸井家の人々について話させていただきました。
諸井家の中には、国際性や芸術的な前衛性を持った方が多数輩出されています。
以下は、第6回本庄まちゼミで配布した資料の一部です。
※彩の国さいたま芸術劇場5周年記念として、1999-2000年、イギリスの名門、「ロイヤル・シェークスピア・カンパニー(RSC)」と彩の国さいたま芸術劇場の共同制作で、『リア王』が日英両国で上演されました。
蜷川幸雄さん演出で、真田さんは「道化役」として、日本人でただ1人出演し、両国で評判となりました。
この公演は、日本の劇団がイギリスの劇場で劇を上演したというものではなく、イギリスの劇団の年間スケジュールの一つとして、RSCでシェイクスピア作品を演出した初の外国人演出家となり、英語で上演。さらに、RSC のイギリスの役者の中に一人の日本人役者が加わり、日本公演のあと、イギリスで4ヵ月間の長期公演を実現したのです。その意味で、 過去に例がなく、国際文化交流の点からも演劇史に残る画期的な試みとなりました。
◆今井さんのワンダーファブリックと渋沢栄一翁の設立した帽子会社
~渋沢翁が創業した日本初の製帽会社「日本製帽会社(東京帽子株式会社)」~
約500もの企業の創設に関わり、600以上の教育・社会事業に携わったとされる渋沢栄一翁は、明治初期洋風化が進む中での帽子の価値を見出し、三井物産の益田孝氏とともに、明治22年(1889年)、日本初の製帽会社「日本製帽会社(後身:東京帽子株式会社)」を創業されました。
渋沢栄一翁と縁の深い「諸井家」発祥の地において、今井俊之さんがワンダーファブリックという伝統生地を活用したCAPの製造販売の拠点を作られると聞いて、嬉しく思いました。
今井さんのCAPが世界中に広がることを願っています。
◆「本庄まちNET」代表 戸谷正夫氏
「有限会社戸谷正夫建築設計事務所」の戸谷正夫氏は、まちづくりの市民グループ「本庄まちNET」代表を務められています。
(※本庄まちNETさんは、“世界最古の自転車”と言われる「陸船車(りくせんしゃ)」の実物大の復元にも取り組まれておられます。2021年7月8日開催の、東京2020オリンピックの聖火リレーでは、「本庄まちNET」の新井正人さんがメンバーの方々とともに10年以上かけて復元された『陸船車(りくせんしゃ)』が本庄市・深谷市区間を走行しました。※詳しくはこちらの記事をご覧ください。)
平成22年(2010年)に、蔵のある街並みを残そうと、小森商店の味噌醤油蔵として使われていた3つの蔵を改蔵して「本庄・宮本蔵の街」保存再生活動に取り組まれました。
「小森商店」の廃業後、戸谷正夫氏をはじめとする「本庄まちNET」の方々の保存活動によって、新しいコミュニティー「本庄宮本・蔵の街」が誕生しました。
現在は、「一の蔵」は、戸谷正夫氏の事務所の他、大学のゼミ活動や本庄まちNETの会合などで利用されているとのことです。
「二の蔵」はコミュニティカフェ「cafeニノクラ」さん、「三の蔵」は事務所として活用されています。
※二の蔵蔵主様YouTube「オープン古ハウス The Movie 2014」より
【平成26年「埼玉県文化芸術拠点創造事業」補助事業・イベント後援:本庄市】
「本庄オープン古ハウス」とは、Cafe NINOKURA(二の蔵)と、まちづくりの市民グループ「本庄まちNET」(代表:戸谷正夫氏・アドバイザー:増田未来望氏)によって実施されたプロジェクトです。
中山道最大の宿場町といわれた「本庄宿」に点在する古民家や歴史的な建造物をめぐってその存在を再発見し、「古い建物」と「古い生活」を通して「これからの暮らし」を考えていこうという思いから、平成25年(2013年)に「オープン古ハウス」の活動が始まりました。当時事務局広報であった小林真氏は、「オープン古ハウスは単なるイベントではなく、『古い生活』から学んで古ハウスをうまく使い、まちを面白くする運動」とおっしゃっていました。
上記の動画『オープン古ハウス The Movie 2014』では、戸谷正夫氏が設計された「本庄宮本・蔵の街」や、「クラッパ(藏髪)」に加え、戸谷八の蔵や離れも紹介されています。
■ ※NINOKURA様・旧HP(2021年6月までのHP)
◆「須田修二一級建築事務所」須田修二さん
今回、「諸井家」の「旧本庄仲町郵便局」の設計を担当されるのは、「須田修二一級建築事務所」の須田修二さんです。
須田さんは、現在、ものつくり大学の建設学科にて非常勤講師もなさっています。
『ものつくり大学』は、哲学者で、大学の初代総長でもあった梅原猛氏によって名付けられたそうです。
ものづくりは縄文の時代から日本の優れた伝統であり、また、古代の大和言葉では濁点を用いないことから「ものつくり大学」と命名されたとのことです。
「浅間山」に向かって「神流川」に突き出したデッキが、岬にある遥拝道のようで、とても美しいです。
土地に住む人たちにとっての心の拠り所ともいえる、このような聖地がこの地域にできることを心待ちにしています!
※須田修二一級建築事務所様ウェブサイトの「Kamisato sunset beach」をご覧ください。
【須田修二さん プロフィール】
ものつくり大学建設技能工芸学科卒後、大学の理念に共鳴し新しい建築家像として独自のスタイル確立のため京都にて大工修行ののち現場監督を経験。
世界20カ国への建築放浪の末、東北復興ボランティアを経て地元建設会社設計部に就職。
これまで全国各地にて住宅,店舗,公共施設を現場主義のもと、理念である正しい建築を実現。
2019年須田修二一級建築事務所を設立し、理想と現実のバランスを追い求める。
【経歴】
1984 埼玉県生まれ
2003 埼玉県立本庄高校卒業
2007 ものつくり大学 建設技能工芸学科卒業
2007 京都市 横田満康建築研究所(大工)
2010 京都市 フリーランス(現場監督)
2013 ヨーロッパ放浪、東北復興ボランティア
2014 本庄市 建設会社設計部係長
2017 一級建築士取得
2018 ものつくり大学非常勤講師
2019 須田修二一級建築事務所設立
【受賞歴】
TVチャンピョン ツリーハウス王選手権準優勝
日本建築学会卒業展示会出展
挽たつ家住宅コンペ最優秀賞
【資格等】
一級建築士
一級施工管理技士
管理建築士
応急危険度判定士
鉄骨造耐震改修技術者
CASBEE講習登録者
第二種登録木材関連事業者
特定建築物調査員
建築設備検査員
未来の公共建築のあり方を考える会
RIOT代表
本庄まちNET副代表
ものつくり大学非常勤講師
(※須田修二一級建築事務所様ウェブサイト「profile」より)
須田修二さんは、ワンダーファブリックの今井俊之さんと同じ上里町出身で、同学年とのことです。
須田さんの恩師を辿っていくとル・コルビュジエ氏に当たり、須田さんは、玄孫弟子になるそうです。
(※追記:ルーツは、ル・コルビュジエ氏→前川國男氏→鬼頭梓氏→藤原成暁氏→須田修二さんとのことです。)※2023年3月14日の須田修二一級建築事務所様インスタより
ル・コルビュジエ氏は、スイス生まれのフランスで活躍した建築家で、モダン建築の基礎を築いたとされる人物です。
2016年、トルコ・イスタンブルで開催された第40回世界遺産委員会において、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」が世界文化遺産として登録されました。ル・コルビュジエ氏が設計した、日本、フランス、ドイツ、ベルギー、スイス、アルゼンチン、インド、「7カ国17の建築群」からなる世界遺産です。
世界遺産に登録された日本の作品は、上野公園にある「国立西洋美術館本館」です。
ル・コルビュジエ氏の建築は、僕も学生の頃から大好きです。
※ちなみに、ル・コルビュジエ氏や丹下健三氏につながる建築家として、谷口吉生氏がいます。
谷口吉生氏のお父様である、谷口吉郎氏は、諸井貫一氏の依頼で、「秩父セメント第二工場」を設計(昭和31年竣工)されています。(※詳細はこちらの記事へ)
須田さんは、さらに、隈研吾氏も尊敬なさっているとのことです。
「東京2020オリンピック大会」のメイン会場になった「新国立競技場」の設計者として知られている隈研吾氏は、独特の建築思想の持主としても有名です。(※余談ですが、隈研吾氏の「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」には、僕も猫好きなだけに非常に感銘を受けました。)
諸井誠さんの音楽について説明している時に、「1964年東京オリンピック大会」の開会式の時に、諸井さんの盟友である黛敏郎さんが日本中の有名なお寺の鐘の音をサンプリングして集め、それを素材にして黛さん流の前衛音楽を作ったお話をさせていただきました。
僕は知らなかったのですが、上の話を受けて、須田修二さんから「東京2020オリンピック大会」では、お寺の鐘ではないですが、47都道府県から調達した⽊材を使⽤し、スタジアム全周に配置していると教えていただきました。(下図参照)
黛さんにしても、隈研吾さんにしても、日本の郷土に対する愛情が深くあり、オリンピックという晴れの舞台で、土地の歴史や土地の素材が輝くような仕掛けをなさっていることがわかり、みんなで感動しました。
現在、上里町のウニクス前では、宇都宮ブレックス EXEに所属されている、3×3プロバスケットボーラーの飯島康夫選手のバスケットボールコートとテナントが建設されています。須田修二さんはその設計にあたられています。
飯島康夫選手は、3x3プロバスケットボールで活躍されているだけでなく、地域でのプロバスケ教室の開催や、子供達とプロ選手とのエキシビジョンマッチ等、地域での教育活動も行われていらっしゃいます。(※詳細は飯島さんの「YASUOJAPAN-飯島康夫-バスケットボール」。)未来ある子供達が楽しくバスケットボールができる場所を作るために、バスケットボールで幸せになる人が増えることを願って、2019年から活動されてこられました。
飯島康夫選手のInstagramを拝見させていただいたところ、今回、バスケットコートの場所探しの最初のミーティングは、「諸井家」や「戸谷八」と縁の深い本庄市の安養院にて開かれたそうです。
飯島康夫選手は、3×3日本代表候補選手、現在は宇都宮BREXとして4度の日本一を達成し、2022年にはご自身初となる日本選手権MVPを獲得された日本が誇るプロバスケットボーラーです。
◆伝統工芸は「アウラ」をつくる
~本庄から世界へ向けて~
たとえば、西陣織には、紋紙(もんがみ)を用いた昔ながらの手織りの「ジャカード織」や、「綴織(つづれおり)」という繊細で、超絶技巧を要する織物の工程があります。
その完成作品しか、僕は見たことがありませんが、伝統技巧に裏打ちされた着物たちは、本当に美しく、芸術用語でいうところの、「アウラ」を強く感じさせます。
父と親交の厚かった西陣織の場所で育った山口憲(やまぐち あきら)先生は、能装束の研究者であり、製作者でもあります。その山口先生に、本庄市の本町の山車の人形装束と幕類を作っていただきました。
山口先生がおつくりになった伝統技巧に裏打ちされた織物の素晴らしさを体感して、本町の氏子達は皆感動いたしました。山車の巡回は神への奉仕の気持ちをもって行うこととされていますが、山口先生の作品はまさに、神への奉仕に相応しい、神が宿っているような織物の作品であります。(※こちらをご覧ください。)
今井俊之さんは、西陣織だけでなく、桐生織や伊勢崎銘仙、本庄絣、奄美大島紬、AINU(アイヌ民族紋様)など、各地方に伝わる土地の神を大事にした伝統的な織物を使った作品を作っています。
先日、講演を聞いた法政大学元総長であられる田中優子先生は、ご著書『布のちから』(朝日新聞出版)の中で、例えば次のようなことをおっしゃっています。
「かつて布はシャーマンと同じ役割を果たし、人と神々との橋渡しをしていた。まさに語源としてのメディウム medium
(霊媒・巫女)そのものだったのである。(P41)」
「布は自然界からもたらされたものであり、自然界に帰っていくべきものであった。布は人を包んで神のもとへ送るための媒体(メディア)であり、神に祈りの言葉を届ける媒体であった。(P40)」
今井さんの作品は、世界各地の土地の神にかかわるような織物を、丹精込めて手作りにて再現する芸術活動です。
何百年にもわたって培われた各地方での織物作品。なかなか出会うことのできない土地に根差した織物たちを、帽子という形で自分の身に付けられる(アウラをまとう)ようにしてくれた、今井さんのアイデアと行動力は本当に素晴らしいものだと思います。
諸井家出身の諸井誠さんは、さいたま芸術劇場を拠点に世界一流のアーティストに演じてもらったり、前衛的な芸術活動を実践なさっていました。
今回、今井俊之さんがその諸井家の「旧本庄仲町郵便局」にて、国際性豊かで新しい感性に基づいた芸術作品を作ってくださることになりました。日本の伝統工芸がこのような形で本庄の場所を拠点に、世界中のいろいろな方に広まってもらえれば、これ程うれしいことはありません。
このたびは、戸谷正夫さん、今井俊之さん、須田修二さん、戸谷八商店をご訪問くださいまして、ありがとうございました!!