2022年11月5日(土) 『川越・前橋・横浜絹ものがたりフォーラム』にて、速水堅曹(はやみ けんそう)の偉業や、歴史的建物の保存活動、「きもの」について学ばせていただきました。

~「NPO法人川越きもの散歩」様主催。3都市(川越・前橋・横浜)ゆかりの絹の歴史と今を「きもの」を通して考える~

 

(左から)主催者の藤井美登利先生、田中優子氏、シーラ・クリフ氏
(左から)主催者の藤井美登利先生、田中優子氏、シーラ・クリフ氏

(写真は藤井美登利先生より送っていただいたものを掲載させていただきました。)

イベント終了後の集合写真
イベント終了後の集合写真

(写真は藤井美登利先生より送っていただいたものを掲載させていただきました。)

 

2022年11月5日(土)、『川越・横浜・前橋 絹ものがたりフォーラム』(NPO法人川越きもの散歩様主催)が、ウェスタ川越にて開催されました。絹を通すことで見えてくる、川越・前橋・横浜のつながりについて教えていただきました。

 

※《当日の動画について》

藤井美登利先生より『川越・横浜・前橋 絹ものがたりフォーラム』の当日の動画がアップされたとのご連絡がありました。下記のリンクよりご覧ください。

『川越・前橋・横浜絹のものがたりフォーラムその①3都市をつないだキーパーソン速水堅曹』

https://youtu.be/orxmEmmG1bo

 

 

『川越・前橋・横浜絹ものがたりフォーラム』

川越市制100周年提案型補助事業~

 

【開催日】

令和4年(2022年)11月5日(土) 13:30~16:30

 

【会場】

ウェスタ川越 1F多目的ホールAB

 

【スピーカー】

シーラ・クリフ氏(十文字学園女子大学名誉教授 きもの研究家)

藤井 美登利氏(NPO法人川越きもの散歩)

米山 淳一氏(横浜歴史資産調査会)

 

【コメンテーター】

田中 優子氏(法政大学名誉教授)

 

【主催】

NPO法人川越きもの散歩

 

【協力】

さいたま絹文化研究会(秩父神社・高麗神社・川越氷川神社) 

 

『きもの×まちづくり 藤井美登利』ホームページ(藤井美登利先生のプロフィールやご実績などが掲載されています。)

『NPO法人川越きもの散歩』ホームページ

『前橋・川越・横浜絹ものがたり』ホームページ

『埼玉トカイナカ』「必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ 共に支え合う豊かな地域づくりを目指して」藤井美登利先生が紹介されている記事 

 

来賓として参加されていた本庄まちNET代表の戸谷 正夫さん
来賓として参加されていた本庄まちNET代表の戸谷 正夫さん

◆藤井 美登利先生の講演 ~元川越・前橋藩士 速水堅曹について~

~日本ではじめて器械製糸所をつくった男「速水堅曹(はやみ けんそう)」~

 

「速水堅曹(はやみ けんそう)」について

日本の製糸業に多大な功績を残す~

 

川越」出身

天保10年(1839年)、川越藩士の子として川越に生まれる。

 

■慶応3年(1867年)、生糸商人の下村善太郎が前橋商人たちから多額の寄付を集めることによって「前橋城」が再建。

「前橋藩」が立藩し、藩主の松平直克が前橋に移封されると、深沢雄象(ふかさわ ゆうぞう)とともに前橋に移り、「前橋藩士」となる(速水堅曹27歳)。横浜に藩営の生糸売り込み商店「敷島屋庄三郎商店」を開業。

 

【日本で最初の器械製糸所】を創設

スイス人ミューラーに指導を受けて、明治3年(1870年)、深沢雄象(ふかさわ ゆうぞう)とともに「藩営前橋製糸所」を前橋に開設。(「富岡製糸場」よりも2年早く開設された。)

速水は、全国から集まった伝習生に指導。「前橋製糸所」は器械製糸技術の全国的普及の最初の拠点となった。 

 

■明治6年(1873年)、速水堅曹は、福島県の「二本松製糸会社」創設に協力。

【日本で最初の民間器械製糸所設立に貢献】

 

■「藩営前橋製糸所」にて伝習生として学んだ星野長太郎(ほしの ちょうたろう)は、

明治7年(1874年)「水沼製糸所」(桐生市黒保根町水沼)を開業。 

【群馬県で最初の民間器械製糸所設立に貢献】 

 

【前橋で二つ目の器械製糸所】設立

明治8年(1875年)、速水堅曹は、深澤雄象、速水堅曹の兄桑島新平ともに「研業社(関根製糸所)」(前橋市関根町2丁目)を開業。

→全国から多くの伝習生が集まる。

 

【埼玉県で初の器械製糸所】の開設にも影響を与える

埼玉県狭山市の清水宗徳(しみず そうとく)「研業社(関根製糸所)」にて学ぶ。

→清水宗徳は、明治10年「暢業社(ちょうぎょうしゃ)」を狭山市に開設。

 

【富岡製糸所の所長を2度務める】

伊藤博文に頼まれて富岡製糸所の第3代所長(1879年~1880年)に就任。

明治18年には、経営手腕を買われて再度、第5代所長(1885年~1893年)を務め手腕をふるう。

→累積赤字が蓄積していた富岡製糸所の経営改善に取り組み、「民営化」を果たして富岡製糸所を存続させようと尽力 。

→明治26年(1893年)三井家への払い下げを果たす。

 

【日本初の生糸「直輸出」会社】設立

明治13年(1880年)「横浜同伸会社」を設立。

アメリカ向けの生糸の直輸出に取り組み、日本の生糸の評価を高めた。

※初代社長:速水堅曹、副社長:高木三郎(元ニューヨーク駐在領事)、取締役:星野長太郎・新井領一郎・清水宗徳。

 

速水堅曹は、渋沢栄一翁、尾高惇忠、伊藤博文、大隈重信、大久保利通、五代友厚、福沢諭吉など明治の実力者たちからも厚い信頼を受け、関わりが深かったとのことです。

 

埼玉県狭山市の偉人「清水宗徳(しみず そうとく)」も速水堅曹と深い交流がありました。

清水宗徳は、妻とともに速水堅曹の設立した「研業社(関根製糸所)」の伝習生として学び、埼玉県で最初の器械製糸所「暢業社(ちょうぎょうしゃ)」を狭山市上広瀬村に設立し、地域の発展に貢献したとのことです。

 

川越の現在の「時の鐘」は、明治26年(1893)に起きた明治の大火の翌年に再建されました。

その際多額の寄付をしたのが、渋沢栄一翁や、横浜の生糸商人たち(原善三郎、野沢屋・茂木惣兵衛等)だったとのことです。絹のネットワークのひとたちの結びつきの深さを感じました。

 

 

速水堅曹については、御子孫である速水美智子さんによって編集された上記のような立派な研究書があります。

この学術書をもとに、藤井先生が希望されているように、速水堅曹さんが一日も早く「埼玉ゆかりの偉人データベース」に掲載されることを願っています。

 

※『埼玉ゆかりの偉人データベース』ホームページ

 

■藤井美登利先生による「速水堅曹と清水宗徳の関係性に関する研究論文」

『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』(藤井 美登利氏著・さきたま出版会)
『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』(藤井 美登利氏著・さきたま出版会)

『小江戸ものがたり』(第1号~第15号)(川越むかし工房)

 

『小江戸ものがたり』について

■蔵造りの町並み「川越一番街」の『本の店太陽堂』さんで購入することができます。

(埼玉県川越市幸町7−5)

■ネットからも藤井先生の『小江戸ものがたり』のお申込みができます。

「小江戸〇〇や」のサイト

 

絹文化産業については川越・前橋・横浜を舞台にいろいろな物語がありました。

(上記4冊の郷土の歴史の本は僕が特に感銘を受けた本でです。)

 

・『絹の国を創った人々 日本近代化の原点・富岡製糸場』(志村 和次郎著・上毛新聞社) 

・『横浜商人とその時代』(編/横浜開港資料館・有隣新書) 

・『足尾銅山吹所世話役 星野七郎右衛門』(太田 貞祐著・ユーコン企画)

・『絹と武士』(著/ハル・松方 ライシャワー・翻訳/ 広中 和歌子・文藝春秋)

 

明治28年(1895年)に本庄で出版された新聞『八州』の中に、「清水宗徳」の名前が見えます。

本庄においても「清水宗徳」は有名な人だったことがわかります。

 


◆米山 淳一氏(横浜歴史資産調査会)講演

~歴史を生かしたまちづくり~

米山淳一氏が常任理事を務められている「公益社団法人横浜歴史資産調査会(通称:ヨコハマヘリテイジ)」は、横浜市と連携しながら「歴史的建造物」等の保全活用に取り組まれています。

講演では、これまでに保全活用をされてきた多くの歴史的建造物の紹介をしてくださいました。

 

横浜の開港以来、生糸貿易は日本経済を大きく支えてきました。そのため横浜の歴史的建造物と絹文化との関係性は深いとのことです。鉄道遺産も絹文化と切り離せない関係であり、日本の絹を運んだ鉄道の終着点としての横浜には、当時の記憶をとどめる「鉄道遺産」が数多く残されているというお話はとても興味深かったです。

 

公益社団法人横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)様ホームページ

 

横浜市認定歴史的建造物 一覧

 

歴史を生かしたまちづくり横濱新聞

 

絵葉書「横浜停車場」(明治末~大正初期) 横浜開港資料館蔵
絵葉書「横浜停車場」(明治末~大正初期) 横浜開港資料館蔵
CIAL桜木町ANNEX(シァル桜木町アネックス)に展示されている「110形蒸気機関車」
CIAL桜木町ANNEX(シァル桜木町アネックス)に展示されている「110形蒸気機関車」

明治5年(1872年)の鉄道創業時に「10号機関車」として新橋〜横浜間で使用され、後に「3号機関車」と呼ばれた日本で最も古い英国社製の機関車のひとつとだそうです。

 

平成26年(2014年)に横浜開港資料館で開催された特別企画展「”蚕の化せし金貨なり…”明治大正の生糸産地と横浜」のちらし
平成26年(2014年)に横浜開港資料館で開催された特別企画展「”蚕の化せし金貨なり…”明治大正の生糸産地と横浜」のちらし

1859年(安政6年)の横浜開港以来、横浜の貿易輸出量の第一位を生糸が80年以上占めていました。生糸が横浜の発展と日本経済を大きく支えました。

 

「港一号橋梁(汽車道)」 ※明治44年(1911年)に開通した「初代横浜駅(桜木町駅)」と新港埠頭を結ぶ「臨港線」に架橋された橋。
「港一号橋梁(汽車道)」 ※明治44年(1911年)に開通した「初代横浜駅(桜木町駅)」と新港埠頭を結ぶ「臨港線」に架橋された橋。

◆「さいたま絹文化研究会」会長 高麗文康(こま ふみやす)様

~高麗神社(こまじんじゃ)宮司 高麗家第60代当主 高麗文康氏~

会長である高麗神社宮司 高麗氏は、「さいたま絹文化研究会」を紹介されて、興味のある方は会員にぜひなってくださいとおっしゃっていました。

 

「さいたま絹文化研究会」ホームページ

「高麗神社ホームページ」

 


◆田中 優子氏(法政大学名誉教授)

~襲(かさね)から風景の着物へ 小袖の時代へ~

田中 優子氏(法政大学名誉教授)
田中 優子氏(法政大学名誉教授)

 

田中優子氏は、日本における「きものの歴史・変遷」について話してくださいました。

 

【襲(かさね)から風景の着物へ】 

平安時代には、きものには文様がなく、衣類の色を「襲(かさね)」ることによって個性が表されてきたとのことです。

布の色の組み合わせは、桜、若草、青柳、桃、つつじ、山吹、かえで、萩、朝顔、紫苑など、季節にかかわる植物の名前で表現されていたとのことです。

 

江戸時代になると、技術革新(「織り」・「絞り染め」・「刺繍」)が起こり、きものに「模様(小紋)」や、「風景を描く(まとう)」という発想が現れます。

 

「それらの技術によって出現するのが、世界中探してもほかにはない『風景の着物』であった。山中の川と水鳥と梅、秋の庭に咲く花々、大地から伸びる桜、ぎっしりと埋め尽くされる竹林、雪景色、夏の琵琶湖、松風を通して見る帆船の行き交う海等々、着物は広げると季節の風景が展開する一幅の絵画であった。(P48)」(田中優子氏著『布のちから』朝日新聞出版)

 

「植物から抽出した色彩に自然を託していた人間は、風景の着物の出現によって具体的な自然を身にまとうようになる。(中略)自然は布によって人の世に顕れ、人は自然の力を身につけようとしたのである。(同・P48)」

 

 

【小袖の時代へ】 

さらに、平安時代には一番下に白い「小袖(こそで)」を着て、その上に「襲(かさね)」ていったのに対し、江戸時代になると、「襲(かさね)」るということがなくなり、「小袖」が上に出てきました。

つまり、これまで下着としての扱いだった「小袖」が、江戸時代になると上着化するという現象が起きたとのことです。

(今の私たちの「きもの」というスタイルは、江戸時代に出現した「小袖」というきものの変化から来ているそうです。)

 女性は「小袖」を着るようになって躍動的になっていったとのことです。きものの変化にともなって女性のありかたも活動的になっていったことが見えてくるとおっしゃっていました。

 

田中先生によると、「風景をまとう」という発想は他国では見られない日本独自の文化だということです。

江戸時代から近代への転換期に、分断されたり失われた日本文化がたくさんあるなかで、田中先生は、きものを通して、「風景をまとう」という日本の独自の貴重な文化を取り戻せたらと話されていました。

 


◆田中優子氏著『布のちから 江戸から現代へ』(朝日新聞出版)

 

▼田中氏はご著書『布のちから』(朝日新聞出版)の中で、布は「人と神々あるいは人と自然界とをつなげる媒体(メディア)」であったと述べられています。

「メディア」とは、本来、「神々(自然)と人をつなぐ役割」のものであるとし、ある時代までは建築物、彫刻、絵画もメディアとして扱われていたと述べられています。 

 

「布はメディアであり、ある時代までは建築物もメディアであった。彫刻も絵画もメディアとして取り扱われていた。芸術とか作品とか実用品とか情報媒体という現代の区分けではなく、別の区分けがあったことを考えれば、(中略)布はただの『もの』ではなくなる。実際、布は自然を人間界に引き出して織った『自然のかたまり』であり、『ただのもの』ではない。(同・P47)」

 

自然は布によって人の世に顕われ、人は自然の力を身につけようとしたのである。日本ではそれが、自然風景のかたちをとって完成されたのである。(P48)」

 

▼前近代の共同体では、「神々(自然)とコミュニケート(P40)」することによって、布には「呪術力(P58)」が宿り、「共同体の存立基盤」として機能していたとのことです。

 

「布は自然界からもたらされたものであり、自然界に帰っていくべきものであった。布は人を包んで神のもとへ送るための媒体(メディア)であり、神に祈りの言葉を届ける媒体であった。(P40)」

 

「かつて布はシャーマンと同じ役割を果たし、人と神々との橋渡しをしていた。まさに語源としてのメディウム medium 

(霊媒・巫女)そのものだったのである。(P41)」

 

「自然の力のものすごさに感動し、驚嘆しているような、その力に可能な限り似ようとしているかのような人工のものが、呪術力を発揮した。(P58)」

 

▼しかしながら、大量生産・大量消費に象徴される現代は、「定価」というシステムの登場によって、布に宿っていた「力(呪術力)」は完全に失われ、「何を作っても人とつながることしかできず、人とつながるために貨幣を介在するしかな」くなり、「手仕事は一秒一秒、金銭に換算されること(P40)」になってしまったと、警鐘を鳴らされています。 

 

▼あとがきでは「循環システム」について、

ものを使い込み大切に扱い、ぼろぼろになるまで愛し続けるその精神も、布そのものの中に蓄積されてきた。廃棄した後は燃やして灰になり、肥料や染め物の一部となって完全循環するのである。布は自然界と人間界を往復する、特別な『もの』なのである。それを言葉にするのは至難だが、しかし、まだ続けてゆきたいと思う。(P275)」

と述べられています。

 

芸術品でも、奢侈品(しゃしひん)でも、生活必需品だけでもない、布が”メディア”として持っていた本来の豊かな意味を理解し、取り戻すことの大切さを本書から学ばせていただきました。

 

・『能装束の世界展』(朝日新聞社)

・『華ひらく能装束ー伝統の美と技ー』(群馬県立歴史博物館)

・『華麗なる能装束 稔りの季』(名都美術館)

・『能に見る日本の女性像』(浅井能楽資料館)

山口能装束研究所の山口 憲先生は、本庄まつりでの本町(もとまち)の山車「石橋(しゃっきょう)」の人形装束と幕類を手掛けてくださった能装束研究者です。山口先生は、江戸時代に制作された全国各地の能装束の復原・研究をされています。山口先生と親交の深かった亡き父はよく私に、「山口先生は読経するように、神仏への捧げものとして能装束を作っておられる」と話しておりました。

「能装束は豪華であるばかりではなく、凛とした品格が内在しています。 」

「それらの文様は途轍もなく永い時間をかけ、あの広大なユーラシア大陸の空間を伝えられて来たもので、文様には各々の民族の神や精霊が宿り、又人々の願いが込められています。」※『華開く能装束ー伝統の美と業ー』(群馬県立歴史博物館)の中の、山口憲先生の言葉より

 

山口先生は、『蚕飼絹篩大成(こがいきぬぶるいたいせい)』『養蚕秘録』等の江戸時代の養蚕書をもとに、実際に、土や水にこだって桑畑を作り、江戸時代に近い環境で養蚕、繭作り、天然染料の研究、製糸、織物までを一体的に行いながら能装束の復原・研究をなさっています。

 

今回、田中優子氏の『布のちから』を読ませていただき、山口先生の能装束復原の根底には、「人と神々(自然界)を能装束によってつなげたい」という、人や布に対して、深い愛情が流れていることに気づかせていただき、ありがたかったです。

 


◆シーラ・クリフ氏(十文字学園女子大学名誉教授 きもの研究家)

”博物館で展示するのではなく日常生活で着てもらい、生きた文化として残してほしい”

2022年8月17日『徹子の部屋』に出演された、きもの研究科のシーラ・クリフさん
2022年8月17日『徹子の部屋』に出演された、きもの研究科のシーラ・クリフさん

きもの研究家で十文字学園女子大学名誉教授のシーラ・クリフ氏は、来日されてから30年以上きものを国内外に広めることにご尽力されています。

講演では、「博物館で展示するのではなく日常生活で着てもらい、生きた文化として残してほしい」と述べられました。 

 

日本人以上にきもののことを深く愛し、生きた文化として残そうと活動されているシーラクリフ氏の思いに感銘を受けました。

 

きもの文化を残すために、「きものに関わりの深い知や、技」(日本人の季節感、自然への敬意、きものの産地やルーツ、職人の技能、歌舞伎、能、狂言、神楽、祭、神社、相撲、日本舞踊、茶道、花街等)について、真剣な危機感をもって見つめ直すことが大切だと思いました。

 


◆きものフリースタイルの皆さん

■前橋のMac Nakataさん

きもの生活・造形作家さんです。

Mac NakataさんHP(持ち歩ける芸術品)

 

■「たてばやし和結」の小堀美津子さん

館林できものまち歩きをされています。

たてばやし和結Instagram

 

■横浜のきもの愛好家の丸山由利子さん

横浜できものまち歩き案内人もされています。

※藤井美登利先生によるウェブサイト『絹のものがたり』(横浜のひと・インタビュー)にも紹介されていました。 

 


◆「越えていこう川越」

川越市内の企業、団体、個人でオリジナルポスターを作成し、街に掲示していこうというポスタープロジェクトとのことです。(プロジェクト期間:令和2年7月~11月)

※(「越えていこう川越」プロジェクトのHPについてはこちらへ)

 

”蔵造りの町並み・時の鐘・川越まつりなど、どれも大火などの災害を越えて、復興の証として生まれた”という川越の歴史は、コロナ禍が続く今だからこそ、とても心に響きました。

 

川越むかし工房さんによる「越えていこう、川越」のコンセプトポスター
川越むかし工房さんによる「越えていこう、川越」のコンセプトポスター
NPO法人川越きもの散歩さんによる「越えていこう、川越」のコンセプトポスター
NPO法人川越きもの散歩さんによる「越えていこう、川越」のコンセプトポスター