2022年11月26日(土) 国道17号本庄道路『神流川橋(かんながわばし)』が開通することを記念して花火大会が開催されました。

~こだま青年会議所様主催~

 

2022年11月26日(土) 国道17号本庄道路・「神流川橋」が開通することを記念して、こだま青年会議所様主催の花火大会が行われました。

 

現在、群馬県高崎市と埼玉県を結ぶ「国道17号本庄道路」の整備が進められています。 

最初の開通区間として「神流川橋」の架け替え工事が完了し、12月3日(土)に開通することになりました。 

 

澄み切った夜空に、神流川橋開通を祝う色鮮やかな1000発の花火が舞い上がり、とても感動しました。

こだま青年会議所の皆さま、素晴らしい花火大会を企画してくださいましてありがとうございました!!

 

 

※こだま青年会議所様ホームページ

 

(上里町より撮影)

 


◆新しい「神流川橋(かんながわばし)」が令和4年12月3日に開通

~『本庄道路』において最初の開通「神流川橋」~

■『国道17号本庄道路』整備事業のうち、優先的に整備が進められていた「神流川橋」が、12月3日(土)に開通することになりました。※暫定的に2車線(片側1車線)で開通。

(現在の神流川橋は1934年(昭和9年)の完成から80年以上経過し老朽化が進んでいるとのことで、新神流川橋の開通後に撤去されるとのことです。)

 

「神流川橋開通についての特設ページ」(国土交通省関東地方整備局大宮国道事務所)

https://www.ktr.mlit.go.jp/oomiya/oomiya00541.html

 

■「開通式典」は、12月3日(土)の11時から行われるとのことです。 

「12/3 11時~の開通式の様子」国土交通省YouTube公式チャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCWWBJ3lHGLJ9HU2Z-RYwgHA/featured

 


◆『国道17号本庄道路』整備事業

◆13.1kmの『国道17号本庄道路』

「埼玉県深谷市岡」と「群馬県高崎市新町」を結ぶ延長13.1キロのバイパス~

 

国道17号の「本庄市-上里町」区間は片側1車線のため、慢性的な交通渋滞が問題となっており、緊急輸送路の確保、防災・震災対策の観点から、国道17号のバイパスとして『本庄道路(延長13.1km)』の整備事業が進められています。

 

『本庄道路(延長13,1km)』のうち、先行して行われているのが、「本庄市沼和田-高崎市新町」までの延長7km(Ⅰ期)区間です。

その中でも、国道17号に架かる「神流川(かんながわ)橋」は、昭和9年(1934年)の架設で築後85年以上経過し老朽化が著しいことから、優先して架け替え工事が行われていました。

ついに令和4年(2022年)12月3日(土) 、『本庄道路』で最初に「神流川橋」が暫定2車線で開通することとなりました。

 

■平成25年度(2013年)…「神流川橋」工事着手。

■令和2(2020)年度…本庄市沼和田地区 工事着手。

■令和3(2021)年度…上里町神保原地区他 工事着手

■令和4(2022)年度…「本庄道路(Ⅱ期)区間」が新規事業化。

■令和4(2022)年12月3日…「神流川橋」開通。

 

 

【参考文献】

・「本庄道路 事業の概要」国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所HP

・「本庄道路ニュース」(バックナンバー)国土交通省関東地方整備局 大宮国道事務所HP

・「本庄道路パンフレット」(国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所)PDF:3.34MB

一般国道17号本庄道路 (再評価)資料(PDF853KB)国土交通省関東地方整備局 (平成20年1月23日)

・一般国道17号本庄道路 (再評価)資料(PDF2.55MB)国土交通省関東地方整備局 (平成29年10月20日)

・ラジエイトHP「国道17号(本庄道路)神流川新橋 親子道路工事現場見学会(平成31年4月20日)」 

・国土交通省 関東地方整備局の国道17号本庄道路についての記者発表資料 PDF704KB(令和2年4月13日)

・国土交通省 関東地方整備局の国道17号本庄道路についての記者発表資料 PDF1.1MB(令和4年11月4日)

 


◆『国道17号本庄道路』パンフレット

「本庄道路パンフレット①」
「本庄道路パンフレット①」
「本庄道路パンフレット②」
「本庄道路パンフレット②」

◆木曽海道六十九次『本庄宿 神流川の渡し場』

~渓斎英泉(けいさい えいせん)が、19世紀当時の「本庄宿」の風景を今に伝えるために描いた浮世絵

『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)
『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』渓斎英泉 (けいさい えいせん)作  天保6~8年(1835~1837年)

 

「本庄宿」には、『木曽海道六十九次(きそかいどう ろくじゅうきゅうつぎ)』の中の一枚として、渓斎 英泉(けいさい えいせん)の描いた『支蘓路ノ駅(きそじのえき)本庄宿神流川渡場』があります。「神流川の渡し場」を題材に、中山道「本庄宿」の19世紀当時の風景が描かれています。

 

浮世絵では、背景の山は上毛三山であり、左から、妙義山・榛名山・赤城山と並んでいます。

中洲までは橋が架けられ、国元に帰る大名行列(信濃国 高遠藩の行列)が渡っている姿があります。

土橋は、初代「戸谷半兵衛光盛」が天明元年(1781年)に、神流川に架けたものです。出水で橋が流された場合に備えて渡し船も用意し、無賃渡しとするために金100両を上納しました。

手前にある常夜灯」は、文化12(1815)年に3代目「戸谷半兵衛光寿」が寄進したものです。

(※戸谷半兵衛家は戸谷家の分家にあたります。) 

 

※戸谷半兵衛が寄進した「常夜灯」

~本庄宿側の常夜灯は、「大光寺(だいこうじ)」(上里町勅使河原)に保存~

※文化12年(1815年)本庄宿の戸谷半兵衛が本庄宿側に建立した「常夜灯(見透灯籠)」の実物は、現在、「大光寺(だいこうじ)」(埼玉県児玉郡上里町勅使河原1864)に移転し保存されています。

灯籠の正面には、大窪詩仏(おおくぼ しぶつ)による『常夜燈』と、桑原北林(くわばら ほくりん)による『金比羅大権現』の文字が、右側面には『燈に背かざりせば闇路にも迷わせまじ行くも帰りも』と田口秋因の和歌が、刻まれています。

また裏面には「文化12年歳在乙亥夏」と建立年が、左側面には建立者である「戸谷半兵衛」の名前もみえます。

 

※「本庄宿・神流川の渡し場」についてはこちらもご覧ください。