~氷川神社と参道沿いにあるハムハウス(Bibli)について~
◆武蔵の聖地である武蔵一宮氷川神社の歴史的背景
全国でも名の知られている大宮の「武蔵一宮氷川神社」、緑区にある「氷川女體(ひかわにょたい)神社」、見沼区の「中山神社」の三社は一直線上にあり、いずれも「見沼たんぼ」を見下ろせる岬のような高台に位置しています。
この三社は、「見沼(御沼)」を神池として一体となって広大な神域を形成し信仰されていたという説もあるようです。
「氷川神社は、広大な見沼を神池そのものと見たて、高鼻の氷川神社を男躰社とし、浦和市三室に氷川女躰社をおき、その中間にある片柳中川の氷川神社(現・中山神社)を簸(火)王子宮とする三社を合わせた壮大な規模をもつ社となって発展したともいわれる。(P28)」※『大宮のむかしといま』(大宮市、1980年発行)より
見沼の歴史をみてみると、水との関わりの深い地域であることがわかります。
縄文時代草創期(約7000年前)、地球の温暖化によって海面が現在より3~5メートル高くなり(縄文海進)、見沼は海の底にありました。縄文時代中期(約6000年前)を境に、海退がはじまり、現在の見沼たんぼの場所には無数の沼・湿地が生まれました。(※詳細はこちらをご覧ください。)
氷川神社の境内にある「神池」は、かつてさいたま市全域に広がっていた広大な湖沼「見沼」の名残りと言われており、「蛇の池(じゃのいけ)」は見沼の水源の一つとされ、今でも水が湧き出ています。
このように、氷川神社は、見沼(御沼)との関わりのとても深い神社です。
◆見沼周辺の縄文時代の遺跡分布
※「見沼の歴史と8月の植物(草)- 地域人ネットワーク」(PDF:2.2MB)に加筆
「見沼たんぼ」のあるこの地は、旧石器時代(約3万年前~1万2千年程前)から多くの人が住む地域であり、多くの遺跡が残されています。水辺に近く、高台で暮らしやすい大宮台地のヘリに昔の集落があったと考えられています。
◆氷川神社の境内でも発掘された縄文遺跡「氷川神社遺跡」
~中央の本殿付近で、縄文時代にも何らかの祭祀が行われていた~
平成24年に境内で行われた発掘調査によって、縄文時代後期・晩期の「氷川神社遺跡」が発見されました。
その遺跡は、本殿を囲んでドーナツ状に土を盛り上げてつくった「環状盛土遺構(かんじょうもりどいこう)」と呼ばれるものです。
環状盛土遺構のある遺跡では、ドーナツの中心部の窪みのところで祭祀が行われていることが多いそうです。
「(氷川神社遺跡は)つまり、本殿のある部分が低く、周囲を小高い部分が取り巻いているということになる。これによって、縄文時代にこの地で何らかの営みがあったことが明らかになった。しかも、同じ時代の、同じように中央が窪地で周囲を小高く盛る馬場小室山遺跡(さいたま市緑区)、真福寺貝塚(岩槻区)、前窪遺跡(浦和区)では、その窪み部分で祭祀などが行われていた可能性があるため、同様の地形を持つ氷川神社でも、その窪み部分で何らかの祭祀が行われていたと考えられる。(P27~28)」※『大宮氷川神社と氷川女體神社』(野尻靖、さきたま出版会)より
「環状盛土遺構」※馬場小室山遺跡(ばんばおむろやまいせき)
武蔵一宮氷川神社と同じように見沼を見下ろす高台に鎮座している「氷川女體(ひかわにょたい)神社」の真西500m位の高台に「馬場小室山(ばんばおむろやま)遺跡」があります。
「馬場小室山遺跡」は、縄文時代早期から晩期に及ぶ大規模な集落跡で、昭和44年(1969年)より発掘調査がはじまりました。
「環状盛土遺構」の代表例として知られており、中央の窪地の底と高まりの最高部との間には、およそ3mの高低差があります。馬場小室山遺跡からは、「人面画付土器」や、土偶の付いた土器、そのほか祭祀に使用したと思われる特異な遺物が出土しています。(※詳細はこちらをご覧ください。)
◆「岬」の地形に霊性を感じた縄文人
中沢新一氏によると、海に突き出た岬のような地形に、縄文時代の人々は強い霊性を感じたと述べられています。
「縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。
そのために、そこには墓地を作ったり、石棒を立てて神様を祀る聖地を設けた。
そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで海が見えなくなっても、聖地の場所に沿って無の場所が並んでいくことになる。
(中略)つまり現代の東京は地形の中の霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から未だに直接的な影響を受けているのである。(P14-15)」※『アースダイバー』(中沢新一著、講談社)
◆見沼の名残の残る「大宮公園」
「大宮公園」は明治18年(1885年)に開園した、埼玉県最初の県営公園として誕生しました。
元々は、隣接する氷川神社の境内の一部でした。大宮公園の設計には、日比谷公園や明治神宮の森を設計した本多静六博士が関わっています。
大宮公園にあたる敷地は、かつて、「見沼(みぬま)」の入江があり、湿地帯が広がっていました。そして、その名残は今も舟遊池や白鳥池などに残っています。
大宮公園「舟遊池」・「白鳥池」
◆首都圏に残る大規模緑地空間「見沼たんぼ」
見沼たんぼは、さいたま市の北区、見沼区、大宮区、浦和区、緑区と川口市にまたがっていて、面積は約1,260ha ある広大な緑地空間です。江戸時代の中頃までは見沼たんぼは、広大な沼でした。
【見沼たんぼの歴史】
◆2019年”世界かんがい施設遺産”に登録された「見沼代用水」
「関東流」の水利技術を使って伊奈忠治によって築造された「見沼溜井(みぬまためい)」。それから100年後、享保7年(1722年)、8代将軍徳川吉宗に新田開発促進の命を受け、「紀州流」の優れた技術者であった井沢弥惣兵衛為永(いざわ やそべえ ためなが)によって築造された「見沼代用水」。
井沢弥惣兵衛為永は、平野の中にある”池沼”を”水田”に変えるという新しい発想によって、それまでの「見沼溜井」を廃止し、広大な新田開発を行いました。「見沼溜井」を水田に干拓し、代わりの水を約60km離れた利根川から取水し、先進的な「紀州流」の技術を結集することによって、6か月という驚異的なスピードで「見沼代用水」を完成させました。
「見沼代用水」の築造によって、利根川の豊富な水を安定して供給することが可能となりました。多くの新田開発が行われ、日本最大となる15,000ヘクタールの水田を潤し、幕府の財政再建に貢献しました。
「関東流」から「紀州流」へ見事に転換を果たした「見沼代用水」は、2019年9月、埼玉県で初めて「世界かんがい施設遺産」に登録されました。
◆見沼の『竜神伝説』
【井沢弥惣兵衛為永と竜(大宮区天沼・大日堂)】
徳川吉宗の治世、紀州藩から来た治水家の井沢弥惣兵衛(いざわ やそべえ)が見沼の干拓を命ぜられて、天沼の大日堂に泊って準備を進めていた。するとある夜一人の女性が訪ねてきた。彼女は、自分を見沼の竜神だと言い、干拓によって見沼には住めなくなるので次の住処を見つけるまでの間、九十九日間作業を中止してくれないか、と頼んだ。弥惣兵衛は彼女の話を真に受けずに工事を始めた。しかし様々な災難がふりかかり工事ははかどらず、干拓指揮者を務める弥惣兵衛も病気になり寝込んでしまった。そこに現れて干拓を拒む美女は白蛇だった。(※詳細は「さいたま竜神まつり会HP」をご覧ください。)
【国昌寺の開かずの門】
江戸時代中期に建立された山門(市指定有形文化財)は「開かずの門」として有名です。
この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉という伝説があり、門は閉じられ「開かずの門」になったと伝えられています。
【国昌寺の釘付けの龍】※左甚五郎作
門の欄間の龍は左甚五郎(ひだり じんごろう)作と伝えられます。
この龍はもともと見沼に住んでいて作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘づけにして門におさめたという伝説もあります。
【南部領辻(なんぶりょうつじ)の獅子舞】
「南部領辻の獅子舞」は、頭(かしら)が「竜」の顔立ちで、竜が天を舞うように、また地を這うように華麗で激しく勇壮な舞を披露することから、「竜頭の舞」とも呼ばれています。
御由緒は、平安時代にまで遡り、笛の名手でもあった武将・新羅三郎義光が、兄の八幡太郎義家を助けるため奥州に下向した際、軍兵の士気を鼓舞するために舞ったのが起こりとされます。
毎年5月と10月、鷲(わし)神社(さいたま市緑区南部領辻)に奉納され、さいたま市指定無形民俗文化財となっています。
◆武蔵一宮氷川神社
~関東を代表する名社も縄文神社だった~
※武藤郁子『縄文神社 首都圏編』(2021年発行)より
さいたま市大宮区にある「武蔵一宮氷川神社」は、武蔵国(埼玉と東京近辺)に約280社ある氷川神社の総本社です。
武蔵国の一宮でもあり、毎年正月には参拝客が全国トップ10に入る著名な神社で、創建は二千有余年前という由緒を持っています。宮中の四方拝(しほうはい)で遥拝される神社の1つです。
「大宮」の地名は氷川神社を「大いなる宮居」すなわち「大宮」と称えたことに由来すると云われています。
【主祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
◆荒川沿いに多く分布する氷川神社
「氷川神社」は荒川の流域に多く鎮座しています。
「香取神社」は利根川流域に、「久伊豆(いさいず)神社」は元荒川筋と利根川の間に分布しています。
◆氷川神社の由来 ~2つの説~
①「出雲国・斐伊川(ひいかわ)に由来」
「氷川」の名称の由来は、出雲国簸川(ひかわ・現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流はスサノオノミコトの「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」の舞台と伝えられています。
武蔵一宮氷川神社社のある一帯は、成務天皇の時代(131〜190年)に、出雲族の「兄多毛比命(エタモヒ)」が、朝廷の命により、武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)となって開拓したと伝えられています。
②「見沼」との深い関わり
「見沼」が氷川神社の成立に重要な位置を占めていると考えられています。見沼に面して神社が鎮座しており、見沼の水神を祀ったことから始まったとも伝えられています。
◆三社で一体の氷川神社
~一直線上に等間隔に鎮座~
見沼の周りにある神社の中で、高鼻(大宮区)の「武蔵一宮氷川神社」と、宮本(緑区三室)の「氷川女體神社」はともに武蔵一宮(むさしいちのみや)と言われます。ふたつの神社の間には、その子といわれる中川(見沼区)の「中山神社」があります。
三社は一直線上に等間隔に鎮座しています。
太陽は、夏至に西北西の「武蔵一宮氷川神社」に沈み、冬至には東南東の「氷川女體神社」から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっています。
これらから、”三社で一体の”氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説があります。(※Wikipediaと、『大宮のむかしといま』(大宮市・1980年発行)より)
■氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)
崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建。氷川女体神社は、「見沼」を見渡す丘に鎮座しています。
主祭神は、須佐之男命の妻・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)です。
武蔵一宮氷川神社(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し氷川女體神社は「女体社」にあたります。
竜神様を祀る「竜神社」
『磐船祭(いわふねまつり)』
氷川女體神社では、かつて、沼の主である「竜神」を祀るための、「御船祭(みふねまつり)」と呼ばれる祭礼が行われていました。「御船祭」は、9月8日に、見沼を渡って沼の一番深いところに竹を四方に立ててしめ縄をはり、神輿を船にのせて行き、お祈りをしていました。見沼と深い関わりを持った氷川女體神社の根本祭礼でした。
そのあたりは、今でも「四本竹(しほんだけ)」(下山口新田)という地名で残っています。「芝川第一調節池」の建設の際の発掘調査では、祭祀が行われた場所からはおびただしい量(790本)の竹や古銭が出てきたそうで、その数から推測すると中世頃から行われていたかもしれないとのことです(四本竹遺跡)。
しかし、享保12年(1727年)に見沼の干拓が行われると、「御船祭」は行えなくなりました。そこで新たに祭礼場を造成して、代わりの祭礼が行われるのとになりました。これが「磐船祭(いわふねまつり)」です。
祭礼場は、直径30mの円形の島で、その中央に「四本の竹」で囲んで結界がつくられ、神輿が渡御しました。
「磐船祭」は、1729年から明治初め頃まで行われました。
■中山神社
崇神天皇2年(紀元前96年)創建。古くは、「氷川社」と称し、大己貴命(おおあなむちのみこと)を祀っていました。
また、「武蔵一宮氷川神社」と「氷川女體神社」の中間に鎮座するため、「中氷川神社」とも呼ばれました。
「中山神社」の境内には、「荒脛(あらはばき)神社」があります。
◆「門客人(もんきゃくじん)神社」と地主神について
武蔵一宮氷川神社の摂社に「門客人(もんきゃくじん)神社」があります。
もともとは、「荒波々畿(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られています。
この「荒波々畿(あらはばき)神社」は、氷川神社の地主神であるという説もあります。
民俗学の研究者であった折口信夫氏は、「地主神みたいな、神杜以前の土着神―おそらく土地の精霊―を、かえって客神として取り扱う。だからあべこべに、ほんとうの後来神または、時あって来る神を客神、客人権現などいう名で示していないのだと思います」と述べています。 (※『日本の民俗学』の「柳田国男・折口信夫対談~日本人の神と霊魂の観念そのほか ~」より)
つまり、折口氏は、客人神として祀られるアラハバキ神は、先住民たちの土着の神、地主神であると述べられています。
◆『江戸名所図会』と氷川神社
一の鳥居前の標石には、「武蔵國一宮 氷川大明神」の文字が見えます。この標石は上の『江戸名所図会』の「氷川宮大門先」にも描かれています。(明治になって廃仏毀釈の際に、「本地正観世音」の文字が削られたとのことです。)
『江戸名所図会』の「大宮驛・氷川明神社」には、「男體宮」・「女體宮」・「火王子(簸王子社)」「荒波々畿(あらはばき)社」等が見えます。
◆大宮駅東口・複合施設「大宮門街(おおみやかどまち)」
~2022年4月以降順次開業~
2022年4月以降順次開業している、大宮区の再開発ビル「大宮門街(おおみやかどまち)」を拝見してきました。
大宮門街は、「大宮駅東口大門町(だいもんちょう)2丁目中地区市街地再開発組合」が大宮駅東口近くに新設した、商業・オフィス・市民ホールからなる大規模複合施設です。(地上18階、地下3階、高さ89.61m、延床面積82,139㎡)
デザインには、街の特徴といえる”路地道”を取り込んだ建築デザインが採用されています。
行き交う人に偶然の発見や楽しさをもたらし、街の人が交わり輝くための「場」を創造し、大宮駅東口の新しい文化発信の拠点になることを目指しているとのことです。
※さいたま市HP「大宮駅東口大門町2丁目中地区第一種市街地再開発事業について」
【名称「大宮門街」について】
「大宮門街という名称には、門前町、大宮、大門、氷川参道、という土地の歴史と特徴が凝縮されています。東日本の玄関口となる大宮駅から、緑豊かな氷川神社の参道へ続く『門』の役目をもち、大宮で暮らし、働き、楽しむための色々な施設が集まった、ひとつの『街』のような存在でありたいという想いを込めた名称です。」 (プレスリリースより)
【ブランドロゴについて】
「縦横のラインが文字とつながり十字に交差したシンボルマークは、大宮の街の特徴であり、建築のコンセプトでもある路地道を視覚的に表現しています。マチカドでゆきあう人と人がつながり、物語が生まれることを表しました。氷川神社の門前町であり、中山道の宿場町として発展した大門の地に誕生する大宮門街。『横に読むと大宮、縦に読むと大門』という二つの地名を組み 込んだ漢字のマークに、土地の歴史を未来へ引継ぐという意味を込めました。」(大宮門街ティザーサイトより)
◆氷川神社参道【二の鳥居~三の鳥居】
◆Bibli(旧大宮図書館リノベプロジェクト)
Bibli(ビブリ)は、1972年に建てられてから約50年間、地域の方々に親しまれてきた「旧大宮図書館」です。
建物は氷川参道の緑豊かな、けやき並木に包まれた大宮を代表する象徴的な環境に立地しています。二の鳥居はもともとは、「明治神宮」の大鳥居だったそうです。
2019年、図書館の移転に伴い「旧大宮図書館」は閉館しました。
ここで、大宮図書館がなくなることを惜しむ声、活用して欲しいという市民の声が多く寄せられたこともあり、さいたま市によって、旧大宮図書館を解体するのではなく、民間事業者に貸し出し、公民連携により活用することが決定されました。
2021年12月19日、新しく「Bibli(ビブリ)」が誕生しました。
大宮に住む方、大宮に訪れる方が、これまで以上に地域に魅力を感じてもらえる拠点になることを目指されているとのことです。(「Bibli(ビブリ)」は、フランス語で本や図書館を意味する言葉から着想されたそうです。)
ロゴは、イラストレーター「竹田匡志さん」の直筆をベースに、「おうちピテクスさん」によって作成されたとのことです。
◆館長の直井薫子(なおい かおるこ)さんと「ハムハウス」
~Bibliの中にオープンしたシェア本棚~
※旧大宮図書館を新たな公民連携拠点に!地域・本・食のシェアプレイス「ハムハウス」より
2022年4月30日、複合施設「Bibli(ビブリ)」の1階に、『ハムハウス』がオープンしました。
”ハム”という文字を縦書きに読むと「公」。
「公」を新しく捉えなおす試みとしてハムハウスが誕生しました。
ハムハウスというスペースの中には3つのスペースがあります。「ハムショップ」「ハムクック」「ハムブック」です。
「ハムショップ」では、全国の公務員バイヤーの方が自分の地域の逸品や情報を紹介をしてくれるショップが並びます。
「ハムクック」では、図書館時代の立地を生かしてキッチンカーの仕込みが可能なキッチンが用意されています。
「ハムブック」は、一棚一オーナー制の「シェア本棚」です。月額3000円で本棚をひと棚借りて、自分が好きな本を貸し出したり販売したりできます。本は誰でも閲覧・購入が可能です。会員(月額500円)になると本を借りることができます。
「ハムハウス」の中にある「ハムブック」館長の直井薫子(なおい かおるこ)さんは、『市報さいたま』のデザインという公的な活動から、自宅の「住み開き」による本屋といったプライベートな活動まで、多彩な活動をされています。
「住み開き」とは、プライベートスペースである自宅の一部を開放してパブリックな空間に変えていく活動です。
家自体が「人と人をつなげる場」(メディア)となり、自分だけでなく街の活性化にもつながる新しいコミュニティの形です。
直井さんは、代表を務めるデザイン事務所兼本屋「CHICACU Design Office & Bookstore」(浦和区)にて「住み開き」を実践されています。
” CHICACU”という屋号は、感覚の”知覚”と、nearという意味の”近く”をもじったもので、『初めてのものとの出合い』の積み重ねが”知覚”を刺激し、一人一人の世界や社会の変化につながるという想いから名付けられたとのことです。
◆直井薫子(なおい かおるこ)さん◆
アートディレクター・デザイナー
1989年、さいたま市生まれ。多摩美術大学卒業後、株式会社中野デザイン事務所を経て、IDEASKETCH, INC.に入社。
デザイン事務所での勤務を経て、2015年には、葛飾区のローカルメディア『ヨコガオ』の編集部に所属。
2020年に北浦和にデザイン事務所兼チカクを探求する書店『CHICACU Design Ofce & Bookstore』を設立。2022年4月からは「ハムハウス」の「ハムブック」にてシェア本棚の運営を開始。
普段は、「市報さいたま(2019年6月~)」のアートディレクションをはじめとして、まちづくり、コミュニティ、建築、アートなど多彩な分野で、職能を活かしながら、埼玉県を主としていろんなまちの地域課題解決に取り組まれています。
【ホームページ】http://chicacu.jp/
【Facebook】https://www.facebook.com/kaoruko.naoi
【Instagram】https://www.instagram.com/chicacu_naoi
【twitter】https://twitter.com/chicacu_naoi
【note】https://note.com/chicacu
【YouTube】クリエイター直井薫子の知覚探求チャンネル CHICACU
社会デザイン研究者の三浦 展(みうら あつし)氏の最新著書『永続孤独社会』には、著者が研究されている「第四の消費(つながりを生み出す社会)」の事例として、コミュニティマンション「コミューンときわ」と、そこで ”住み開き” を実践されている直井薫子さんののことが紹介されていました。
「(前略)直井さんはここで、 『CHICACU Design Office & Bookstore』 という事務所兼本屋を始め、『住み開き』を実践中である。さらに、2022年4月より大宮の氷川参道沿いにある市立図書館跡地にできた施設 『Bibli』 でシェア本棚の運営を開始する予定である。
私は郊外研究をずっと続けてきた人間として、これからの郊外に必要なコンセプトは『クリエイティブ・サバーブ』であると考えるに至った。タワーマンションに住んで大規模ショッピングモールで買い物をしているだけの消費型の生活ではなく、住み、働き、交流し、刺激しあい、新たな生活をデザインし、生み出していく、そういう暮らしができる郊外が『クリエイティブ・サバーブ』のイメージである。 コミューンときわはまさにその『クリエイティブ・サバーブ』誕生の先駆けにも見える。(p290-291)」
◆ハムハウスオープン記念展示「ハムハウスができるまで」
ハムハウスで受付をされている方にパンフレットをいただきました。
パンフレットには、たくさんの人を巻き込みながらハムハウスが作られていった過程が綴られていました。とても素敵な紹介文でした。
青山見本帖『STOCK MEMBERS GALLERY 2022』
青山で開催される”紙”を切り口にした展覧会にについての案内もいただきました。
紙で表現されている、葉脈や石垣の石の素材感、海岸線などの質感がとても面白いと思いました。
◆青山見本帖 ショウケース展示『STOCK MEMBERS GALLERY 2022』
2022.5.9 — 7.15
出展:(JAGDA会員)
5月9日(月)~20日(金) 藤巻 洋紀、宮崎 悠、山口 央
5月23日(月)~6月3日(金) 小林 亜未、直井 薫子、原田 教正
6月6日(月)~17日(金) 佐藤 奈穂子、都留 好胤、本間 愛都
6月20日(月)~7月1日(金) 井上 悠、岡田 友香梨、勝又 朋子
7月4日(月)~15日(金) 猪飼 俊介、佐藤 豊、寺尾 功司
大宮は近代的なビルが林立し、便利なお店もたくさんできて、交通の便も良く、埼玉を代表する大都市で僕もいろいろとお世話になっています。
もちろんそういう近代的な部分は素敵で大好きです。(今回再開発する大門ビルも大好きです。)
一方、まちづくりについていろいろ考えてみると、ピカピカな近代的なビルだけでは物足りない部分も感じるようになりました。そういった問題意識をもった中、今回、Bibliという建物に偶然出会い、建物の中に入ってハムハウスの方に会ってお話をうかがったり、このハムハウスができるまでのパンフレット等をいただき熟読させてもらうと、新しいまちづくりの方向性のようなものを感じました。
子ども時代から図書館を使っている人たちは、このビルを壊しゼロから再開発するのではなく(一度はそういうふうに決まりかけたみたいです。)、なじみのある古いビルをデザイナーや建築家たちの卓越したセンスで素敵で居心地の良い、長くいたくなる雰囲気のある空間に生まれ変わらせることに成功して、非常に喜んでおられると思います。
Bibliという建物の中に、デザイナーたちの考えのもと、「ハムハウス」という空間が生まれました。
パンフレットによると、ハムハウスとは公平性に支配されすぎた「公」や、行き過ぎた「個人主義」に抗い、新しい「公」を再構築する場。「好きなことでつながる仲間=最小単位の公」とのことです。
この氷川神社を中心とした地域は、縄文時代の遺跡が多く残っています。
その場所に、まちづくりの核として公と民の新しい関係を模索する「ハムハウス」が誕生しました。
ハムブックの館長である直井薫子さんは、「今の情報伝達は文脈が切り離されていくばかりに思える」という危機意識を持っておられます。(直井薫子さんのnote ”CHICACUのはじまり”より)
そういった中、自分の生まれ故郷であるさいたま市の、豊かな水や縄文の記憶を持つ氷川神社一帯において、元旧大宮市立図書館を利用した新しい試みをなさっております。この試みはきっとさいたま市の市民たちにとって、旧図書館での思い出だけにとどまらず、氷川神社や縄文時代の古層の雰囲気や素材感もにじみ出るような、誇らしい活動になるのではないでしょうか。
埼玉で一番交通の便の良い大宮には、大企業の支店がたくさん進出し、効率的で巨大なビルがたくさんあります。
そのすぐ側で、今回のようないろいろな人の記憶がつまっている図書館を壊すのではなく、実験的にオシャレにゆるやかに土地の記憶を持つ、新たな「公」を育てる場を再構築しようとする努力に感動しました。