~次期芸術監督:近藤良平氏のテーマは ”クロッシング”
3つのクロス:「多彩なアーティストがクロス」・「地域あるいは地域間でクロス」・「多様な人々がクロス」~
就任会見の中で、近藤氏は「初代芸術監督である(作曲家の)諸井誠さん、2代目の蜷川さんが残してきたものは大きい。僕はそれらの作品を受け止めつつ、専門であるダンスの力を利用して、皆さんに楽しい芸術文化を提供していきたい。」
さらに、「劇場は、そこで繰り広げられることのただの発表の場ではない。劇場には、皆さんと交流し合って、ここから生まれてくる、ここで発想を生む、そういう力もすごくあると思います。芸術文化のサンクチュアリ(保護区)のような役割もあると思います。この劇場で、そういう力も発揮していきたい」と述べられました。
◆彩の国さいたま芸術劇場 芸術監督就任・2022年度ラインナップ発表記者会見
◆近藤 良平(こんどう りょうへい)氏
コンドルズ主宰・振付家・ダンサー
ペルー、チリ、アルゼンチン育ち。NHK教育『からだであそぼ』内「こんどうさんちのたいそう」、NHK総合『サラリーマンNEO』内「テレビサラリーマン体操」などで振付出演。野田秀樹氏演出、NODA・MAPの四人芝居『THE BEE』で鮮烈役者デビュー。NHK連続TV小説『てっぱん』オープニング、三池崇史監督映画『ヤッターマン』などの振付も担当。NHK大河ドラマ『いだてん』ダンス指導。立教大学などで非常勤講師を務める。第4回朝日舞台芸術賞寺山修司賞、第67回芸術選奨文部科学大臣賞、第67回横浜文化賞受賞。2022年4月より彩の国さいたま芸術劇場芸術監督をつとめる。
◆彩の国さいたま芸術劇場 近藤良平芸術監督 就任インタビュー
◆公演ラインナップ
※「彩の国さいたま芸術劇場・埼玉会館 2022年度ラインナップ」から一部を紹介。
■2022年4月29日(金・祝)~5月1日(日)
近藤良平氏が、劇作家・俳優で21年4月に神奈川芸術劇場の芸術監督に就任した長塚圭史氏と共同で、ダンス・サーカス・演劇・音楽など、多彩なジャンルのアーティストがクロスして展開する舞台公演を開催。
■【彩の国さいたま芸術劇場大規模改修工事に伴う休館】
2022年10月3日(月)~2024年2月29日(木)
劇場から外に飛び出すキャラバン企画『埼玉回遊』がスタート。
埼玉会館(浦和)を拠点にしつつ、県内各地をアーティストが訪れて地域文化の掘り起こしたり、その土地の人々と一緒に作品を発表する試みが行われます。
◆初代芸術監督 諸井 誠(もろい まこと)氏
(1930年-2013年)
【彩の国さいたま芸術劇場での実績】
「1990年代は財団法人埼玉県芸術文化振興財団が設立されるに際し、中心的創設メンバーの1人として、彩の国さいたま芸術劇場初代館長に就任するのと平行して、1997年4月に芸術総監督に就任。(中略)
財団在任中の10年間には、1500を越える舞台芸術とかかわる各種公演を手がけ、RSCを招聘しての「リア王」(蜷川演出)等、シェイクスピア・シリーズを始め、ヴッパタール・タンツテアター(独)、NDT(蘭)、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス(加)、ローザス(伯)等、海外の著名な劇団や名流舞踊団の招聘に尽力すると同時に、ピナ・バウシュやイリ・キリアンへの委嘱作品を世界初演し、多大な成果をあげ、第3回朝日舞台芸術賞グランプリ、読売演劇賞優秀作品賞などを受賞。」
【経歴】
現代音楽の作曲家、音楽評論家。
1952年、東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科卒業。池内 友次郎(いけのうち ともじろう)氏に師事。
1957年、黛 敏郎(まゆずみ としろう)氏や、吉田 秀和(よしだ ひでかず)氏らと前衛音楽集団【二十世紀音楽研究所】を設立。武満 徹(たけみつ とおる)氏らを世に送り出した。
12音技法や電子音楽をいち早く取り入れ、尺八とオーケストラの響きの融合を試みるなど、現代音楽界の先駆的存在となった。
1994年彩の国さいたま芸術劇場初代館長に就任。1997年~2005年埼玉県芸術文化振興財団の芸術総監督、1999年~2004年同理事長を歴任。
専門音楽教育活動とも取り組み、広島のエリザベト音楽大学を皮切りに、桐朋学園、東京藝術大学、お茶の水大学、大阪教育大学、大阪芸術大学、神戸女学院大学、明治学院大学等で教鞭をとった。
音楽評論の分野でも活躍し、ベートーベンのピアノソナタ研究でも知られた。
おもな作品に『ピアノのためのαとβ』(1954)や、『ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲』(1962、尾高賞)、尺八の現代本曲『竹籟五章(ちくらいごしょう)』(1964)※竹保流(ちくほりゅう)宗家の初代・酒井竹保(さかい ちくほ)氏の古典本曲の演奏を聴き、それに刺激を受けた諸井誠氏が1964年に作曲。初演は竹保流宗家の2代目・酒井竹保。
音楽詩劇『わが出雲』(1970)※入沢康夫氏詞、協奏交響曲第一番『偶対』(1973)、三重奏曲『有為転変』(1973)、『竹林奇譚 巻之壱「斐陀以呂波」』(1991)など多数。1995年紫綬褒章受章。
※祖父は渋沢栄一翁と縁戚関係にある、秩父セメント創業者の諸井 恒平(もろい つねへい)氏、父は作曲家の諸井 三郎(もろい さぶろう)氏、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井 虔(もろい けん)氏。
※作曲家・指揮者の尾高 尚忠(おたか ひさただ)氏・惇忠(あつただ)氏・忠明(ただあき)氏一家とは縁戚関係。
※尾高忠明氏は、2021年、NHK大河ドラマ『青天を衝け』でテーマ音楽の指揮を担当された。
※余談ながら:「戸谷八商店と諸井家について」
諸井誠さんのお兄さんである、諸井虔さんと父は、安養院の檀家の仲間でした。
平成8年夏の安養院のご本堂の修復工事の際には、諸井虔さんをはじめ、諸井家の方には多大なご協力をいただきました。
日本の寺社建設のトップ企業である松井建設株式会社様(日本国内の上場企業では最も歴史の古い会社)を諸井虔さんに紹介していただいたおかげで素晴らしい技術にて本堂が無事に修復されました。
(安養院のご本堂)
■諸井誠氏作曲『竹籟(ちくらい)五章(改訂版初演 松籟五章)』
~平成20年度の音楽部門で「文化庁芸術祭大賞」と「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞された「竹保流宗家の3代目 酒井松道(さかい しょうどう)氏による尺八リサイタル《尺八の系譜》より~
※竹保流archives - the Chikuhoryu School - YouTubeチャンネルより
「酒井松道 尺八リサイタル 尺八の系譜」
平成20年(2008年)10月23日、銀座王子ホールにて開催された、竹保流(ちくほりゅう)尺八三代目宗家 酒井松道(さかい しょうどう)氏による尺八リサイタルです。
曲目:①明暗真法流別傳 秘曲 鹿之遠音曲
③明暗真法流 高野山法師御作 秘曲 観月曲/秘曲 第二観月曲
演奏:竹保流尺八三代目宗家 酒井松道氏
主催:竹保流尺八宗家事務局
【受賞】
●平成20年度(第63回) 文化庁芸術祭大賞受賞(音楽部門)
●平成20年度(第59回) 芸術選奨文部科学大臣賞受賞(音楽部門)
「竹保流の尺八は、京都の明暗寺という虚無僧寺に伝わる尺八の曲など、虚無僧時代の『本曲』(ほんきょく)と言われる楽曲をルーツにしており、虚無僧自体は、明治政府によって禁止されたが、創流した初代宗家は、それら本曲の系譜をもつ伝承者を訪ね歩き、曲を修得していた。長男である二代目が病に倒れ、三代目を継承した松道氏もまた、明暗寺の本曲、さらには明治政府につぶされるまえの、旧明暗寺の本曲を伝承者から直接伝授されている。持ち曲の殆どが、伝承者をたどれる、いわば『尺八の系譜』を持った貴重な奏者なのだ。」(※小林 渡のAISAアイザ奮戦記より)
■『クラシック名曲の条件』諸井 誠氏著
解説の岡田 暁生(おかだ あけお)氏は、2010年4月からNHKEテレで放送された『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』にて、音楽の歴史やその原理、魅力などについて坂本龍一氏、浅田彰氏らと対談をされています。
■『わたしのラヴェル』(諸井 誠氏著)
■『洪水 11号』~特集 諸井誠の饗宴~
《特集:諸井誠の饗宴》
●対談「ベートーヴェンのPLAN(生涯設計図)」諸井誠・野平一郎
●往復書簡「ボードレールの視座へ」諸井誠・安藤元雄
●インタビュー「音楽は論理とともに鳴りひびく」聞き手=福中琴子ほか
■cd『音の始源を求めて 塩谷宏の仕事 2021改訂版』
(NHK電子音楽スタジオ )
NHK電子音楽スタジオの初代技術者である塩谷宏が手掛けた電子音楽作品を収録。
1.《素数の比系列による正弦波の音楽》 黛 敏郎 1955年
2.《素数の比系列による変調波の音楽》 黛 敏郎 1955年
3.《鋸歯状波と矩形波のためのインヴェンション》 黛 敏郎 1955年
4.《7のヴァリエーション》 黛 敏郎・諸井 誠 1956年
5.《テーマ音楽》 諸井 誠 1957年
6.《ピタゴラスの星》 諸井 誠 1959年
7.《ヴァリエテ》 諸井 誠 1962年
8.《オリンピック・カンパノロジー (大阪万博用再編版)》 黛 敏郎 1970年
9.《テレムジーク》 カールハインツ・シュトックハウゼン 1966年
~Discography「音の始源を求めて 塩谷 宏の仕事 2021改訂版」~にて試聴できます。
※諸井誠を生んだ「本庄宿 諸井家」について
~渋沢栄一の渋沢家・尾高惇忠の尾高家・本庄宿の諸井家(東諸井家)。この3家は親戚関係であり、経済人としてだけでなく、文化芸術面においても日本の近代化に多大な貢献をしました。~
【東諸井家家系図】
初代監物→2代伝左衛門→3代伝左衛門→4代伝左衛門→5大仙左衛門→6代伝五右衛門→7代仙右衛門元輔→8代伝左衛門為隆→9代泉衛門(弱泉)→10代泉衛(水竹)→11代恒平→12代貫一→13代勝之助
※「本庄人物事典」(柴崎起三雄著)より
諸井家は、楠木正成(くすのきまさしげ)の家臣であり、1336年、湊川合戦(足利尊氏軍と後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦)で正成の死後、諸井家は、南朝の忠臣新田義貞を頼って上野国に土着しました。その後(1559~1560年頃)、本庄氏築城に際して本庄に移住し「花の木18軒」と呼ばれる利根川のネットワークでつながった仲間たちと共に本庄村の開発に尽力しました。(※墓所は本庄市の安養院)
諸井一族は3家(北諸井・南諸井・東諸井)を興して本庄宿の発展に貢献しました。
屋敷の位置関係から、「北諸井」・「南諸井」・「東諸井」と呼ばれました。
なかでも「東諸井家」は多くの逸材を輩出し、日本の近代化に深く貢献してきました。
《尺八について》
江戸時代に、禅宗のひとつ「普化宗(ふけしゅう)」という宗派で、尺八は「法器(ほうき)」として使われていました。
普化宗の僧侶のことを「虚無僧(こむそう)」といい、尺八を吹くことは、悟りをひらくための修行の一環(吹禅・すいぜん)として捉えられているとのことです。
古の普化宗授与の本則には、「尺八を吹けば座禅と同じ様に身心脱落して万物と一如となる」と述べられているとのことです。
《「虚無僧」の元祖といわれる「楠木正勝」について》
「楠木正勝(くすのき まさかつ)」は、楠木正成(くすのき まさしげ)の孫で、「虚無僧の元祖」ともいわれています。
正勝は、南朝崩壊後に普化宗(ふけしゅう)の門に入り、普化正宗の総本山である明暗寺(みょうあんじ)の創建者天外明普(てんがいめいふ)の弟子となって「虚無」と名乗り、虚鐸(きょたく)を持って全国各地を回ったといいます。正勝を「虚無」と同一人物とする伝説は、尺八の起源を説く『虚鐸伝記』(18世紀末)にも登場しています。
諸井家の先祖は楠木正成の家臣でした。
また、虚無僧の元祖は、楠木正成の孫である楠木正勝であると言われています。
思うに、そういった関係もあって諸井誠さんは虚無僧の楽器である尺八に深い思い入れがあったのではないでしょうか。
※【真ん中】東諸井家10代目 諸井泉衛(せんえい)
【写真左側】逸郎・恒平・時三郎・四郎
【写真右側】泉衛の妻佐久・(佐久の抱いている)六郎・寿満・なみ
※泉衛の妻佐久は、渋沢栄一翁のいとこ。
※本庄宿出身の実業家。
※渋沢栄一翁の推薦で日本煉瓦製造に入社。
※秩父セメント創業者。「セメント王」。
※諸井泉衛の次男。諸井誠氏の祖父。
※本庄宿出身の元外交官。不平等条約の改正に尽力。
※郷土史家。『徳川時代之武蔵本庄』(明治45年)を出版。
※諸井泉衛の五男。
※日経連・経済同友会の創始時代表。秩父セメント社長(3代)。
※埼玉県人会5代目会長。(初代会長は渋沢栄一翁。)
※諸井恒平氏の長男。諸井誠氏の伯父。
※日本作曲界のパイオニア。
※東京工業大学、本庄東中学校の校歌も作曲。
※諸井恒平氏の三男。諸井誠氏の父。
※秩父セメント社長(5代)、経済同友会副代表幹事、日経連副会長、地方分権推進委員会委員長。財界の「ご意見番」として活躍。
※諸井三郎氏の長男。諸井誠氏の兄。
※作曲家、音楽評論家。現代音楽における先駆的存在として活躍。『ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲』(1962、尾高賞)。
※彩の国さいたま芸術劇場 初代芸術監督。
※尺八とオーケストラの響きの融合を試みた。
※諸井三郎氏の次男。
■諸井家と縁戚関係にある「尾高家」
※日本交響楽団(後のNHK交響楽団)の常任指揮者となり、日本の交響楽運動に貢献。死後、功績を記念して、尾高賞(作曲賞)が設置された。
※渋沢栄一翁と尾高惇忠(実業家)氏の孫。
オーケストラのための『イマージュ』(1982、尾高賞)・交響曲『時の彼方へ』(2012、尾高賞)
※東京芸術大学名誉教授、桐朋学園大学特任教授。
※渋沢栄一翁と尾高惇忠(実業家)氏のひ孫。
※指揮者。2021年、NHK大河ドラマ『青天を衝け』でテーマ音楽の指揮を担当。
※渋沢栄一翁と尾高惇忠(実業家)氏のひ孫。尾高惇忠(作曲家)氏の弟。
■『黛敏郎と諸井誠、電子音楽とオリンピック』
■『尺八と弦楽合奏、打楽器のための協奏三章』(作曲:諸井誠氏)
「諸井家」を生んだ「本庄宿」は、利根川の水運で大きく発展し、中山道最大の宿場町として栄えました。
河岸は賑わい、宿には市も開かれ、様々な人・物の交流によって、最先端の文化が花開くきっかけを作った場所でもあります。
本庄宿というと、商人の町と思われがちですが、文化面でも厚みがありました。
本庄の文人の多くは、俳諧をはじめ、漢詩文、書画などを嗜んでおり、寺子屋も早くから開設されており、その普及率も埼玉県内で極めて高いものでした。
彩の国さいたま芸術劇場は、初代芸術監督の諸井誠氏、二代目監督蜷川幸雄氏の力強いリーダシップによって、国際的に評価の高いコンサートや舞台が催され続けてきました。埼玉県民としてこのような劇場があってとても誇りに思います。
本庄宿での文化の流れが諸井誠氏を通して、彩の国さいたま芸術劇場にも流れて、様々な芸術的な企画が積極的に行われていることが本当にうれしく感じます。
「劇場は、ただの発表の場ではなく、様々なジャンルの人々と交流し合って、ここから生まれてくるものがある。この劇場で、そういう力も発揮していきたい」と三代目芸術監督に就任される近藤良平氏が述べられたように、地域に力を与えるものは、本庄宿や、渋沢栄一翁を育んだ中瀬河岸のように、様々なジャンルのものが横断的に交わり、自由自在に、多様な流れがのびてくることによって生み出されるのだと思います。
2022年4月からのクロッシングをテーマとした、近藤氏が手掛けられる企画(神奈川芸術劇場 芸術監督の長塚圭史氏との横断型舞台公演『新世界』や、10月~2024年2月まで劇場大規模改修修期間中に実施予定の、劇場から外に飛び出すキャラバン企画『埼玉回遊』)がとても楽しみです。