~NPO法人『川越きもの散歩』の代表理事を務められる藤井美登利(ふじい みどり)先生が、丹念な取材を重ね、生きた情報を集め、それを積み上げることによって、地域の埋もれた記憶が掘り起こされています~
◆川越の町雑誌『小江戸ものがたり(第十五号)』(川越むかし工房)
~「渋沢栄一と川越」、「早稲田大学・高田早苗と川越」~
藤井美登利先生に『小江戸ものがたり(第十五号)』と『さいたま絹文化研究会通信 Vol.25(2021年12月発行)』、『さいたま絹文化研究会通信 (創刊号~Vol.22)』を送っていただきました。
『小江戸ものがたり』は、ガイドブックには載っていない川越情報(川越の職人、歴史、老舗の話、季節の行事等)が満載です。藤井先生は、川越の町雑誌『小江戸ものがたり』編集長を務められています。
今回の特集は、「渋沢栄一と川越」と、「早稲田大学・高田早苗と川越」です。
特集1では、渋沢栄一翁と川越との深いつながりを、藤井先生の丁寧な取材を通して紡ぎ出された論文と、これまで見たことのない貴重な写真がたくさん収録されています。
大河ドラマ『青天を衝け』で注目されている伊藤八兵衛の娘、伊藤兼子の妹の子孫の方にお会いになってインタビューをされた記事は、兼子の父、伊藤八兵衛と、八兵衛の弟、淡島椿岳(あわしま ちんがく)という視点からも渋沢翁の生きた明治という時代を感じさせていただいてとても新鮮でした。
特集2では、早稲田大学の初代学長を務め、早稲田大学発展の最大の功労者である高田早苗(たかだ さなえ)と川越との関係が丁寧に綴られていました。高田早苗の応援者であり、恩人でもあった川越商人。その子孫の方(岩沢敏さん)と高田早苗の子孫の方(高田興治さん)との対談にも心打たれました。
他にもたくさん、この本によってしか出会えない貴重な川越の歴史を学ばせていただきました。
藤井先生の取材によって、これまで埋もれていたその土地の記憶がが掘り起こされて、その土地にあった歴史的、文化的資産がが息を吹き返していくのを感じさせていただき、読んでいてとても引き込まれました。
■『小江戸ものがたり』は、蔵造りの町並み「川越一番街」の『本の店太陽堂』さんで購入することができます。
(埼玉県川越市幸町7−5)
■ネットからも藤井先生の『小江戸ものがたり』のお申込みができます。
→ 「小江戸〇〇や」のサイトをご覧ください。
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◆『小江戸ものがたり(第十五号)2021秋・冬』目次
●特集1 渋沢栄一と川越
・喜多院 星岳保勝会
・旧川越藩主松平大和守家
・時の鐘
・乗合馬車 佐久間軒
・栄一の後妻とその家族
・埼玉育児院
・飯能戦争
・第八十五国立銀行
・橋本雅邦と川越商人 山崎美術館
●特集2 早稲田大学・高田早苗と川越
①川越商人と明治の政治
②川越・岩沢家
③所沢・鈴木家
・喜多町弁天横丁~ここで生きた女性たちの面影~
・美味建築その一
・うなぎ東屋
・小江戸トピックス
◆『さいたま絹文化研究会通信 Vol.25(2021年12月発行)』
(発行:さいたま絹文化研究会)
『さいたま絹文化研究会通信 Vol.25(2021年12月発行)』のテーマは「明治4年(1871) 第一回宮中御養蚕に深谷・飯島本陣の妻女が出仕~渋沢栄一・田島武平・飯島曽野~」です。
深谷宿本陣の飯島元十郎の妻、曽野(その)のご活躍や、田島武平家と飯島家、渋沢栄一翁とのつながりが詳細に記されていました。
群馬県の島村(伊勢崎市)の方だけでなく、深谷宿の方も宮中御養蚕に関わっていたことが藤井先生の取材によって明らかになり、埼玉県に住む郷土史を勉強する者としてとても誇りに思えました。
「さいたま絹文化研究会」は、日本の蚕糸・絹文化を次代に伝えるために、秩父神社(薗田 稔宮司)・高麗神社(高麗 文康宮司)・川越氷川神社(山田 禎久宮司)の三社の宮司が発足された研究会です。
協力団体として、NPO法人 川越きもの散歩と一般社団法人 高麗1300がかかわっています。
藤井美登利先生は、さいたま絹文化研究会で会報を担当されています。
◆藤井美登利(ふじいみどり)先生
藤井美登利先生は、NPO法人『川越きもの散歩』の代表理事として毎月28日に、川越での「きもの散歩」の開催をされています。
また、専門家ボランティア共助仕掛人として、6年間埼玉県庁に勤務され、市民活動団体やNPO法人、企業等のマッチングを行い、活力ある地域づくりに貢献されてこられました。
さらに、「川越むかし工房」を設立し、川越の町雑誌『小江戸ものがたり』の編集発行(2021年12月現在で第15号まで発行)や、さいたま絹文化研究会(秩父神社・高麗神社・川越氷川神社により結成)での会報を担当される等、まちづくりや伝統文化保存のため、多彩なご活動をされている方です。
ご著書に『埼玉きもの散歩―絹の記憶と手仕事を訪ねて』(さきたま出版会)があります。
平成25年度の埼玉県人会善行賞受賞。第12回 筑波大学茗渓会(めいけいかい)受賞。
◆藤井美登利先生についての掲載記事
『必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ 共に支え合う豊かな地域づくりを目指して』(2021年3月18日掲載の埼玉トカイナカジャーナル編集部)
◆『NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を伝える県境の魅力めぐり』
藤井先生は、2021年4月より、埼玉県北部地域振興センター本庄事務所サイトにて、「NHK大河ドラマ主人公 渋沢栄一の活躍を伝える県境の魅力めぐり」というテーマで執筆をされています。2021年7月30日には、戸谷八商店をご訪問いただき、取材をしてくださいました。
以下はそのバックナンバーです。
農村ミュージアム「かねもとぐら」(本庄市児玉)
~「論語と算盤」がバイブル 高窓の里に生きる渋沢の精神と世界遺産とのつながり~
世界遺産「富岡製糸場と絹関連遺産」「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)
140年前に島村からイタリアへ! ~渋沢栄一の養蚕人脈をたどる~
旧渋沢邸「中の家」渋沢栄一生誕の地
深谷市指定文化財・埼玉県指定旧跡(深谷市)
渋沢栄一論語の師・尾高惇忠家と桃井可堂郷土資料館(深谷市)
渋沢栄一の養蚕人脈 飯島曽野(その)
~宮中御養蚕へご奉仕した埼玉県の女性~(深谷市)
繭で栄えたまち・本庄を歩く①
創業460年「戸谷八商店」15代目に聞く~戸谷八郎左衛門と渋沢栄一~(本庄市)
繭で栄えたまち・本庄を歩く②
渋沢栄一ゆかりの旧家諸井家と明治の郵便(本庄市)
繭で栄えたまち・本庄を歩く③
旧本庄商業銀行煉瓦倉庫~ローヤル洋菓子店の記憶~(本庄市)
■【その9】(New!)
繭伊勢崎市境島村・田島武平旧宅 「桑麻館(そうまかん)」
~渋沢栄一の養蚕人脈~(伊勢崎市)
2021年12月22日(水) 川越の町を歩いてきました。
「喜多院」や「川越氷川神社」、「川越熊野神社」、「時の鐘」、「蔵造り町屋」、「和風住宅」、「洋風住宅」、「旧第八十五銀行本店の近代洋風建築」など、各時代の建築が重層的に立ち並び、なおかつ調和もしていて、歩いていてとても楽しかったです。
歴史や町並みの空気感がとても大切にされているのを感じました。
◆「旧川越織物市場」の危機と再生
~地域住民主導で保存運動が展開され、次世代アーティスト等の活動拠点として生まれ変わりつつある川越の歴史的遺構~
◆「旧川越織物市場」の歴史
【江戸後半~明治前半】
川越は、全国有数の織物の集散地として、着物の流行ファッションで全国を席巻。
なかでも、横浜開港時に、川越織物商の中島久平(なかじま きゅうへい)は当時最先端のヨーロッパの技術を導入し、「川越唐桟(かわごえとうざん)」の改良や新製品の開発を行う。
【明治後半】
不景気と取引の周辺への分散によって川越の織物産業が衰退。
【明治43年(1910年)、川越織物市場開場】
明治期の地域再生のプロジェクトとして、「川越織物市場」の建設に踏み切る。
毎月5と10のつく日に市(月6回の定期市)が開かれ、町が賑わうようになる。
【大正後期】
商売の形態の変化が要因となって、織物市場としての機能を終える。
※建物は残される。「織物市場」は伊勢崎や、八王子、桐生にもあったが、全国で残っているのは川越だけ。
【昭和38年(1963年)】
三國連太郎さん主演の映画『無法松の一生(むほうまつのいっしょう)』(東映版)のロケ地として利用される。
(※荒くれ者の人力車夫である主人公・無法松(むほうまつ)が住む長屋として、「旧川越織物市場」が使われた。)
【平成13年(2001年)】
織物市場を解体し、マンションを建設する計画が発表される
→「旧川越織物市場の保存再生を考える会」(※2003年1月「川越織物市場の会」に組織改編)が創設。
「旧川越織物市場」の保存運動が展開され、2万人の署名が集まる。約半年間住民が建物に集い見守り続ける。
【平成14年(2002年)】
川越市が現地での保存を決定。
開発業者から、川越市が「旧川越織物市場」の建物の寄贈を受け、川越市土地開発公社がその敷地を買取り、2002年12月10日、「旧川越織物市場」の現在地での保存が確定。
【平成17年(2005年)】
「旧川越織物市場」と、隣接する「旧栄養食配給所」がともに「川越市文化財」に指定。
【平成18年(2006年)】
40年ぶりに三國廉太郎さんがを訪れる。(※詳細はこちらへ)
【平成27年(2015年)】
「旧川越織物市場」が「歴史的風致形成建造物」に指定。
【平成29年度(2017年度)~】
川越市が織物市場の調査・全面修復工事が始まる。
次世代の文化創造インキュベーション施設として再生予定。
【令和6年に復原公開予定】
第1期工事である「旧川越織物市場東棟・西棟ほか整備工事」が完了し、現在、第2期工事である「旧栄養食配給所等整備工事」が進行中です。復原公開予定は、令和6年とのことです。
※川越市HP「旧川越織物市場東棟・西棟ほか整備工事について(完了)」
※川越市HP「旧栄養食配給所等整備工事の状況について」
【参照】
●『さいたま絹文化研究会通信(Vol.15)~川越に残る織物遺産 川越織物市場~』(さいたま絹文化研究会)
●『小江戸ものがたり(第5号)』
●『埼玉きもの散歩』(さきたま出版会)
●公益財団法人いきいき埼玉「たまサポ調査隊がゆく~NPO法人川越織物市場の会(川越市)」
●川越市HP「川越市文化創造インキュベーション施設(旧川越織物市場活用推進)」
●川越市文化創造インキュベーション施設コンセプトブック(PDF:13,408KB)
現在、「川越織物市場」は当初の材料をできるだけ残して同じような技術で復原する工事が行われています。
川越に古くから住んでいる方と新たに川越にやってこられる方との交流の場としての「次世代の文化創造インキュベーション施設」としての活用が計画されているそうです。
壊すのは簡単ですが、その土地とそこに住む人たちの誇りにつながる歴史的遺産を守り、維持していくことの大切さと、川越に住む方たちの気概を感じさせていただきました。
◆小江戸川越のシンボル「時の鐘」
「時の鐘」は、 蔵造りの街並みの観光名所で、川越のシンボルとなっています。川越市指定有形文化財です。
『小江戸ものがたり(第15号)』の中では、「時の鐘」の歴史についての紹介がありました。
明治26年(1893年)、町の三割以上が焼失した大火で、時の鐘も全焼しました。
川越商人たちは、自分の店の再建よりも、時の鐘を優先したということです。
明治天皇からも下賜をいただき、高田早苗は東京で義援金集めに奔走し、渋沢栄一翁や、横浜商人(原善三郎や茂木惣兵衛など)も高額の寄付をされています。
「時の鐘」が、いかに、町のシンボルとして人々に愛されてきたのかを実感することができました。
◆昭和10年創業の「太陽堂」さん
~川越に関する書籍の宝庫~
(埼玉県川越市幸町7-5)
「太陽堂」さんは、ここでしか入手できない川越に関する本が満載でした。
『小江戸ものがたり(第15号)』と、『川越の歴史散歩』を購入させていただきました。
店主の方は、先日藤井先生が「ラジオぽてと」に出演されたとおっしゃっていて、とても嬉しそうでした。
各地域で非常に貢献されたのにもかかわらず、今ではあまり知られていない方々に藤井先生が光を当てるご活動をなさっていること、本当に素晴らしいことだと思います。
私もより一層、本庄地域の先人の方たちの実績を掘り起こしていければと改めて感じました。
藤井先生、いつもありがとうございます。