~埼玉グランドホテル等を創業した髙橋福八氏。今、ワークマンで話題のカインズグループの土屋嘉雄氏(創業者)。両者は共に深谷商業高校の出身者です。~
校内には、国の登録有形文化財の『二層楼(にそうろう)』があり、毎週日曜日のみ一般の方に公開しています。
(開館時間:午前10時~12時/午後1時~3時)
※緊急事態宣言中は、公開が中止されていました。
電話で確認しましたところ、緊急事態宣言の解除に伴い、2021年10月3日(日)から公開が再開されるとのことです。
(10/1に電話で確認)
(※2020年10月25日に、深谷商業高等学校記念館『二層楼』に行ったときの様子はこちらをご覧ください。)
◆深谷商業高校『二層楼(にそうろう)』の歴史
~渋沢栄一翁や大谷藤豊(ふじとよ)氏等が尽力し創立~
深谷商業高校は、地元の有力者であった渋沢栄一翁や大谷藤豊(ふじとよ)氏等が尽力し、大正10年(1921)に創立され、校舎である二層楼は、翌年の大正11年(1922)に完成しました。
校歌で「巍峨壮麗(ぎがそうれい)の二層楼」と歌われています。
※巍峨壮麗(ぎがそうれい)とは「山や建造物などが高くそびえ雄大で美しい様」の意味です。
◆渋沢栄一翁揮毫の書『士魂商才』『至誠』
~現在も受け継がれている深谷商業高校の校訓~
深谷商業高校には、栄一翁の揮毫である『士魂商才」と『至誠』の書があります。
『士魂商才』…武士の崇高な精神を持ち、商人の才覚や知恵を発揮すること。
『至誠(しせい)』…きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。
栄一翁の精神は、現在も校訓として残され、生徒たちに受け継がれています。
◆渋沢栄一翁の精神を受け継ぐ商業教育
パリ万博に参加する幕府使節団の一行として、フランスに渡った渋沢栄一翁は、商業の力で世の中が豊かになるというしくみを学びました。
「一人がうれしいのではなく、皆が幸せになる。一人一人の力で、世を変えることができる。」
「みんなが豊かになるためには、商業が豊かにならなければならない。」
栄一翁は、その後、国づくりのためには、商業の知識と道徳を備えた人材が必要だと考え、教育事業にも力を注ぎました。設立に関わった学校には東京商法講習所(現在の一橋大学)や大倉商業学校(現在の東京経済大学)などがあります。
埼玉県立深谷商業高等学校もその一つです。
埼玉県立深谷商業高校は、今年(令和3年)創業100周年を迎えました。
全校生徒830人。渋沢栄一翁の精神が脈々と受け継がれています。
深谷商業高校 西木成男校長
「『士魂』は、武士の崇高な精神を表しています。『商才』は商人の才覚や知恵。
自分のもうけだけでなく、それを社会に還元しようという精神の大切さを説いています。」
◆”渋沢翁の精神(商人魂)”を叩き込まれた髙橋福八氏
「一ににっこり、二におじぎ、三にことばをかけましょう。これがわが社の常識ですから。」
髙橋福八(たかはし ふくはち)氏は、深谷商業高等学校の同窓会長・本庄市商工会議所の名誉会頭です。
深谷商業高校時代に、”商人魂”を叩き込まれたとのことです。
「『世の中のためになるように働け』ということは基本中の基本。それが深谷商業の思想。」
「みんなのためにならならなければ意味はないと。一人だけ金儲けしてもだめだと教わりました。人のためにならなきゃ、自分の欲得だけでやることは長続きしないんですよ。人のために奉仕をすれば最後は自分のためにもなる。」
高校卒業後、修行を経て、家業の履物問屋を継いだ髙橋氏。
その後、全国に店舗を出すなど、事業の拡大に成功しました。
そして、日本全体が豊かな生活を求めていた80年代、埼玉グランドホテル等サービス業にも乗り出します。
結婚式場、葬祭場、日帰り温泉、生花店、常に新たな事業に挑戦し、世の中のニーズに応えてきたのです。
「時代と共に生きる。時代に逆らわない、そういう考え。」
◆深谷商業高校の簿記部
~次世代に受け継がれる、渋沢栄一翁の精神~
ヨーロッパから「簿記」を日本に導入したのは、渋沢栄一翁でした。
その簿記の知識を深めたいと、髙橋福八氏は深谷商業高校の在学中に「簿記部」を作りました。
深谷商業高校の簿記部は、今では全国大会に35年連続で出場するほどの強豪校に成長しています。
「簿記部を作ってよかったよ。こんなすごいとは思わなかった。後輩に拍手。」
◆『巍峨壮麗(ぎがそうれい)の二層楼』について
~大正11年(1922年)創建。取り壊しの危機を乗り越え、平成25年(2013年)、見事に創建当時の「萌黄色(もえぎいろ)」に復活した深商のシンボル~
(※深谷商業高等学校記念館・二層楼での展示写真より)
◆『二層楼(にそうろう)』の歴史
深谷商業高等学校記念館「二層楼」は、学校創立の翌年、大正11年(1922年)に竣工しました。
当時としては四隣に比肩するもののない立派な建物で、校歌にも「巍峨壮麗(ぎがそうれい)の二層楼」と歌われています。
平成12年(2000年)には、フレンチルネッサンス様式を基調とした、大正時代の建築技術の粋を集めて建設された貴重な建物として、国の登録有形文化財の指定を受けました。
中央部分には尖塔(せんとう)、左右対称の構成、玄関は重々しい車寄せ、階段の彫刻風の手摺りや広い踊り場、錘を利用した上下開閉式の窓、屋根には洋風なドーム窓、土台には、渋沢栄一翁が関わった日本煉瓦製造会社の上敷免レンガが使われています。外壁は幾何学模様の張り板等、明治後期から大正期にかけての学校建築の特色がよく表れた木造かわらぶき二階建てのモダンな洋風校舎です。
しかし、長年の風雨にさらされ老朽化が激しく、一時は取り壊しの危機に直面しました。
「二層楼がなくなったら深商が深商でなくなる」と多くの卒業生や、地域住民、全国の文化財愛好者から、取り壊し中止の要望が寄せられました。また、県も貴重な県民財産であると認め、大改修工事が行われることになりました。
改修工事は、平成23年(2011年)9月から始まり、平成25年(2013年)6月に完了しました。
改修途中(2012年)、行田市の「ものつくり大学」の横山研究室(横山晋一准教授)の調査で、創建当時の外観は「萌黄色(もえぎいろ)」であったことが判明しました。
当初の計画では、白色系の外観とする方向で工事が進められていましたが、最終的には、創建当時の「萌黄色(もえぎいろ)」に復元されることになりました。
髙橋福八同窓会長の、「開校に尽力した渋沢栄一扇が見たのも萌黄色、開校に尽力した町の人たちの魂がこもった校舎だからこそ、創建当時の色に復元することに意義がある」との英断により、見事に復元され蘇りました。
参照:「巍峨壮麗の二層楼 国登録有形文化財 深谷商業高等学校記念館」パンフレットより
◆二層楼の中にある「渋沢栄一翁の生涯を学べる展示室」
(2020年10月訪問時に撮影)
「二層楼」の中には渋沢栄一翁の生涯を学べる展示室があります。
「この場所を通して、これから先も後世に商人魂を伝えていきたいと考えています。」
「渋沢栄一の思想が全部入っている。この学校に。」
「渋沢栄一の生き方を今こそマネをするべき。時代が大きく変わりつつある。いろいろなことが通用しなくなってきている。今は自分も一緒に変わらなければ生き残れない。」
「いつでも世の中のためになる商売をやっていくということが大事。」
◆二層楼の展示資料から
~「深商人物ものがたり」~
髙橋福八氏と土屋嘉雄氏は、父と一緒にまちづくりを行った仲間でした。
中山道最大の宿場町であった本庄市に、それまでなかった本格的な政府登録ホテルを開業なさった髙橋福八氏。
アメリカ流のチェーンストア理論を学んで全国各地にホームセンター網を作り上げた土屋嘉雄氏。
父はお二人の志の高さを尊敬していました。お二人と仕事ができたことをいつもとても誇らしげに語っていました。
◆渋沢栄一そっくりさんの鵜養秀男(うがい ひでお)氏
渋沢栄一そっくりさんのお一人、鵜養秀男(うがい ひでお)氏も深谷商業高校の卒業生です。
「当時、私たちの頃は、深谷だと地元で商売をするのだったら、深谷商業に行きなさい。ということが定説でありました。
私も迷うことなく、仲間と深谷商業に入学をいたしました。
校訓にあります『至誠』と『士魂商才』という言葉の渋沢栄一が書いた額があります。それを見て非常に感動した覚えがあります。」