◆『渋沢栄一とその時代展』
渋沢栄一翁の墨跡…約20点
徳川慶喜公および、幕末から明治にかけての偉人(大老、大名、家臣、幕末の志士)の墨跡、水戸徳川家関係資料…約50点
◆場所
深谷市 華蔵寺(けぞうじ)美術館
(埼玉県深谷市横瀬1360)
◆開催期間
2021年3月19日(金)~6月16日(水)※好評につき、期間延長
◆時間
午前10時~午後4時
◆入館料 500円
渋沢栄一翁と一族ゆかりの寺・華蔵寺の境内にある華蔵寺美術館(深谷市)で開催された『渋沢栄一翁とその時代』展に行ってきました。
美術館に入るとすぐに、7歳の頃の徳川慶喜の書「游於藝」が展示されていました。あまりの達筆ぶりに圧倒されました。書の素晴らしさに感動しました。
続いて、水戸徳川家関係の墨跡、洋式砲術家の高島秋帆、井伊直弼、勝海舟、山県有朋、伊藤博文、岩倉具視、井上馨、西郷隆盛、新渡戸稲造など、錚々たる顔ぶれの墨跡が展示されていました。
途中、華蔵寺ご本堂の改築の際に(昭和29年)、須弥檀の下から発見されたという「円空仏」、その隣に展示されていた「歓喜天」も拝覧することができてありがたかったです。
一巡して最後のコーナーには、渋沢栄一翁、渋沢元治(栄一翁の妹夫妻の長男)、渋沢誠室(せいしつ、東の家3代目宗助※『青天を衝け』に出てくる宗助です)の書が展示されていました。
渋沢栄一翁と、その時代の名だたる方々の墨跡を拝見させていただき、貴重な1日となりました。
折に触れて、ご住職様がとても丁寧に説明してくださいました。
中の家の渋沢元治氏が亡くなられたとき、青山葬儀所の方でご住職が葬儀を執り行われたというお話もうかがいまして、渋沢家と華蔵寺の縁の深さに感銘を受けました。
華蔵寺の境内には牡丹の花がたくさん咲いていて、とても綺麗でした。
(2021年10月16日追記)
NHK大河ドラマ『青天を衝け(第30回)』の紀行の中で「華蔵寺(深谷市)」が紹介されました。
NHK大河ドラマ「第30回 渋沢栄一の父」の中で、市郎右衛門さんの旅立ちのシーン(菜の花畑を背景とした野辺の送りのシーン)、御導師様役として、実際の渋沢家の菩提寺である華蔵寺の菅間隆惇ご住職様がご出演されていました。
※【公式】大河ドラマ「青天を衝け」のツイッターの中で撮影時の様子やメイキング動画が紹介されており、こちらの動画ではより大きな画面で菅間ご住職様のお姿を見ることができます。https://twitter.com/nhk_seiten/status/1447167622706077701?s=20
【『渋沢栄一とその時代』主な展示物】
渋沢栄一翁・渋沢誠室(せいしつ、東の家3代目宗助※『青天を衝け』に出てくる宗助です)・渋沢元治(栄一翁の妹夫妻の長男)・尾高惇忠(藍香)・徳川慶喜公
水戸徳川家関係の墨跡・初代水戸藩主・徳川頼房公「三代将軍家光公宛書状」、8代斉脩、9代斉昭、11代昭武、12代篤敬、清水徳川家第8代当主・徳川好敏、水戸弘道館学者の遺墨。
徳川慶喜公の各時代の墨跡(水戸弘道館時代・将軍時代、晩年)。
藤田東湖(徳川斉昭の側近、水戸学の大家)・原市之進(藤田東湖の従弟)・井伊直弼・阿部正弘・松平春嶽(福井藩16代藩主)・橋本左内(福井藩藩士、松平春嶽の側近、医家に生まれる)・勝海舟・高橋泥舟(たかはし でいしゅう、慶喜の護衛役、山岡鉄舟は義兄、幕末の三舟)・山岡鉄舟(高橋泥舟は義弟)、福地源一郎(明治時代前期の代表的ジャーナリスト、『江湖新聞』を発行)・福沢諭吉・郵便の創業者前島密ほか,
特別出品、輪王寺宮(北白川宮)の遺品、
徳川時代 三葉葵孔雀羽紋 蒔絵台子など、多数展示。
華蔵寺(深谷市)境内マップ
境内東にある「華蔵寺美術館」
「青天を歩け!MAP ~埼玉編~」リーフレット (NHKさいたま放送局)より
「渋沢栄一翁の書『存心養性以事天』」 華蔵寺ホームページより
『その心を存し,その性を養うは天に事 (つか) えるゆえんなり』孟子の中の一節。善なる性を曇らされないままで維持し,放心を求めていくことが,ついには天に通じる道である。
「尾高惇忠の書」 華蔵寺ホームページより
「渋沢誠室(東の家3代目宗助)の書」 華蔵寺ホームページより
入場チケット
◆華蔵寺(深谷市横瀬)
【心王山 自心院 華蔵寺】
◆創建 建久5年(1194年)
◆宗派 真言宗豊山派
◆本尊 金剛界大日如来
◆開基 新田義兼公(新田氏の祖 義重公の3男 新田氏第2代)
※新田宗家第2代目の義兼公は、里見家初代義俊公や、徳川(世良田)家初代の義季公、山名家(子孫に山名宗全公)初代の義範公と兄弟です。鎌倉幕府を倒した新田義貞公(新田氏8代)の6代前の先祖になります。
◆開山 弘道上人
◆中興 祐遍和尚(南北朝)
◆埼玉県指定有形文化財
木造大日如来坐像(新田義兼公の守り本尊)
◆深谷市指定重要文化財
大日堂、円空仏、金井鳥州(かない うじゅう)画屏風
◆関東八十八ヵ所霊場 第八十七番札所
華蔵寺は、建久5年(1194)、新田氏第2代新田義兼公によって創建された820年以上の歴史をもつ埼玉県の名刹です。義兼公は、新田家の武運長久の祈願所として、弘道上人を招いて開山とされました。
関東八十八ヵ所霊場第87番札所になっています。
開基 新田義兼公(新田氏第2代)の墓
■大日堂
天正11年(1583年)建立の「大日堂」(深谷市指定文化財)
大日堂に安置されている「胎蔵界大日如来像」(埼玉県指定文化財) ※華蔵寺ホームページより
新田義兼公の守り本尊と伝わる大日堂のご本尊は、平安時代末期の作で、檜寄木造り、人間の等身大で、金箔が施されています。かつては秘仏とされていました。
■関東八十八ヵ所霊場 第八十七番札所 華蔵寺
■渋沢栄一翁揮毫の扁額とお手植えの松
「渋沢栄一翁お手植えの松」
昭和2年(1927年)、渋沢栄一翁お手植えの松(赤松)が植樹されましたが、残念ながら赤松は大雪のため倒壊してしまったそうです。現在は初代の実から育った2代目が植えられています。
■華蔵寺パンフレット
渋沢栄一翁と一族ゆかりの寺・深谷華蔵寺美術館
~旧渋沢邸(中の家)から1300m~
「春風を以て人に接す」華蔵寺 第三十七世 菅間利政 名誉ご住職による書【卒寿記念 】
「青天を歩け!MAP ~埼玉編~」リーフレット (NHKさいたま放送局)より
◆横瀬神社(本殿と拝殿は埼玉県指定文化財)
横瀬神社は、華蔵寺敷地内の南側に鎮座しています。
建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞公の孫、国寿丸が再建したと伝わっています。(神社案内板より)
※江戸期、横瀬神社の別当寺が華蔵寺(けぞうじ)でした。
■渋沢栄一翁揮毫の社号碑『村社 横瀬神社』
社号碑の裏には、「子爵 渋沢栄一」の文字が刻まれています。
■横瀬神社本殿及び拝殿 案内板
【本殿】安政7年(1778)、岩瀬求馬正藤原治賢を棟梁として建立されました。前原藤次郎とその一門により、手の込んだ先進的な彫刻が施されています。
【拝殿】
文化6年(1809)に建立されたものの、なんらかの事情で失われ、明治32年(1899)に再建されました。
彫刻等細部に本殿の得意な技法や意匠を受け継ぎ、文化年間の部材も再用され、技術や地域的特質が明治になっても継承されたことを示しており貴重なものです。
■横瀬神社「本殿」(安政7年・1778年建立)
横瀬神社の本殿と拝殿は埼玉県指定文化財です。
本殿の彫刻は、「国宝・歓喜院聖天堂(熊谷市)」の再建に携わった前原藤次郎とその一門が手掛けたもので、非常に手の込んだ先進的な彫刻です。
※毎年4月に、横瀬神社の向かいにある日本酒の蔵元「丸山酒造」の「金大星 蔵びらき」の開催にあわせて「横瀬神社・本殿」が公開されています。
横瀬神社「本殿」 文化遺産オンラインより
■横瀬神社「拝殿」
文化6年(1809年)に建立。なんらかの事情で失われ、明治32年(1899年)再建。
横瀬神社「拝殿」と鳥居扁額
◆「上州彫刻師集団」の活躍
~あかがね街道沿いの「花輪」付近で輩出された多くの名彫物師たちが、江戸中期から明治に至るまで各地に優れた彫刻師集団を育て上げていった~
『上州彫刻師集団系統図』 ※「埼玉県指定文化財 横瀬神社本殿及び拝殿」案内板の下に添えられていた案内図より
■左甚五郎の流れを組む「上州彫刻集団」の系譜
左甚五郎(元祖名人)ー高松又八(彫物師の祖)ー石原吟八郎(又八の弟子)ー前原藤次郎・関口文治郎(吟八郎の弟子)
◆左甚五郎(ひだり じんごろう)
元祖名人。江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。日光東照宮の『眠り猫』をはじめ、妻沼歓喜院聖天堂の『鷲と猿』、秩父神社の『つなぎの龍』・『子宝・子育ての虎』、桶川市泉福寺の『正門の竜』など、左甚五郎の伝承を持つ作品は全国に100近くある。
◆高松又八(たかまつ またはち)
「上州彫刻師集団」の祖。かつては真田家家臣、後に群馬県花輪に移る。日光東照宮などの改修を手掛ける。群馬県花輪(現在のみどり市)で、彫刻集団の礎を築いた。
◆石原吟八郎(いしはらぎんぱちろう)
高松又八の一番弟子。花輪のそばの「黒川郷」に石原吟八郎を祖とするグループが生まれた。
出世作は、1724年本庄市の「金鑚神社」。1731年には高松又八と共に「日光東照宮」の修復、1735年には、国宝の妻沼「歓喜院聖天堂(かんぎいんしょうでんどう)」の再建に着手。
◆前原藤次郎(まえはら とうじろう)
石原吟八郎の弟子。花輪の彫刻師。
妻沼の「歓喜院聖天堂」、熊谷市上新田の「諏訪神社」、横瀬の「横瀬神社」、太田の「冠稲荷神社 本殿」、秩父の「三峯神社」、八王子・高尾山の「飯縄権現 本殿」、桶川の「泉福寺 阿弥陀堂欄間」などの彫刻を手掛けている。
◆関口文治郎(せきぐち ぶんじろう)
「上田沢村」には関口文治郎を祖とするグループが生まれた。
仏像彫りの天才。「上州の左甚五郎」と讃えられました。関口文治郎の作品は、高崎市の「榛名神社拝殿」(※双龍門は熊谷の小林源太郎作)、桐生市の「桐生天満宮」、桐生市黒保根の「医光寺の欄間彫刻」、秩父の「三峯神社」、信州伊那の「熱田神社」、桐生の「天満宮」、黒保根の「栗生神社」などで現存している。
◆その後の流派
国宝の「歓喜院聖天堂」で学んだ彫物師たちが、江戸で新たな流派を興す。
・後藤茂右衛門正綱→「江戸彫りの後藤家」へ
・小沢五右衛門常信→「江戸彫りの小沢家」の元祖となる
小沢家からは、長野の諏訪大社や善光寺などの彫刻で有名な、「立川流始祖・立川和四郎」などが続いており、脈々とその伝統が受け継がれていく。
【参考文献】
・『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(阿部修治著)
・『本庄市の文化財』(本庄市教育委員会)
・『寺社の装飾彫刻 関東編・上』(若林純著)
■左甚五郎「日光東照宮の眠り猫」
■石原吟八郎の出世作「金鑚神社(本庄市)」(1724年)
石原吟八郎が手掛けた「金鑚神社(本庄市)本殿」 ※埼玉県指定文化財です。
©https://blog.goo.ne.jp/toyo0181/e/578f27f70024cd1bb81307adb527258f
■関口文治郎の最後の作品「榛名神社・社殿」
榛名神社「本殿・幣殿・拝殿」の彫刻は、彫刻師・関口文治郎の最後の作と言われています。文治郎は、「上州の甚五郎」と称され、師匠の石原吟八郎とともに、熊谷市妻沼の国宝・歓喜院聖天堂の再建に携わった人物です。
©https://ameblo.jp/harun2019/entry-12488709061.html
■国宝の『妻沼聖天山 歓喜院 聖天堂』(めぬましょうでんざん かんぎいん しょうでんどう)
■あかがね(銅)街道と宮彫師たち
江戸期、足尾銅山の銅を運搬するために、利根川を下って江戸まで向かう「あかがね(銅)街道」が使われていました。
「花輪宿」はあかがね街道の宿場の一つ(その他に、沢入宿・大間々宿・大原宿・平塚宿があった)であり、花輪宿周辺の宮彫師たちは、あかがね街道を利用して、日光と江戸の両方の神社仏閣の建築や補修に携わりました。
■狛犬
明治42年(1909年)建立 流れ尾形狛犬
洪水対策のためか、台座が高くなっていました。
◆丸山酒造
横瀬神社の向かいには、日本酒の蔵元「丸山酒造」があります。
丸山酒造は、明治6年、群馬県赤岩村(現 中之条町)に嶋崎屋を創業。明治9年熊谷市下奈良にて酒蔵を借り受け酒造業を始め、銘柄を「金大星(きんたいぼし)」と命名。酒名の由来は大相撲の”金星”にちなんでいます。
その後、明治16年に現在地の深谷市横瀬にあった豪農荻野七郎兵衛の酒蔵を借受け酒造りをスタートしました。
渋沢栄一翁生誕の地で、地産地消にこだわり、伝統の味と技を引き継いでいる酒蔵さんです。
毎年4月に「金大星(きんたいぼし)蔵開き『よこぜ、いこ~ぜ』」が開催され、多くの屋台が出店し、地元の人たちで賑わう、春の風物詩となっています。(※2021年は新型コロナウィルス感染症対策のため中止)
その蔵開きに合わせて、横瀬神社の「本殿」が公開されています。
※深谷市には3軒の蔵元があります。
丸山酒造「金大星正宗(きんたいぼしまさむね)」
滝澤酒造「菊泉(きくいずみ)」
藤橋藤三郎商店「東白菊(あずましらぎく)」
※埼玉県は、清酒出荷量が毎年上位に位置する酒どころです。荒川や利根川の伏流水に恵まれている埼玉には、35の酒蔵があります。兵庫、京都、新潟に続いて、秋田と肩を並べる日本酒生産県です。
煙突には、渋沢栄一翁が創設した日本煉瓦倉庫のレンガが使われています。