~2020年10月15日「本庄早稲田の杜ミュージアム」が開館しました~
2020年10月15日、早稲田リサーチパークコミュニケーションセンター(93号館)1Fに 「本庄早稲田の杜ミュージアム」がオープンしました。
「本庄早稲田の杜ミュージアム」は、本庄市と早稲田大学が共同で開設するミュージアムです。
本庄市の「笑う埴輪」をはじめとする多種多様な考古資料や、早稲田大学所蔵する貴重な文化財が公開されています。
◆本庄早稲田の杜ミュージアムMAP
(早稲田大学 本庄キャンパス内)
埼玉県本庄市西富田1011
「本庄早稲田の杜」
浅見山丘陵(約86万平方メートル)のほぼ全域が早稲田大学キャンパスとなっています。自然豊かな森に囲まれ、キジやタヌキ、オオタカも生息し、梅や桜、山つつじの名所としても市民に親しまれています。これまで縄文時代から近世にかけての多くの遺跡や文化財が発掘されています。
キャンパス内には、早稲田大学本庄高等学院の他、環境・エネルギー研究家(大学院)、リサーチパーク、本庄保存書庫(図書館)などの建物があります。
この自然、遺跡、文化財の豊かな一帯は「本庄早稲田の杜」と呼ばれています。
◆本庄市歴史民俗資料館(旧本庄警察署)
埼玉県本庄市中央1丁目2−3
歴史民俗資料館(旧本庄警察署)は、明治16年(1883年)に本庄警察署として建てられました。
コリント様式を採用し建設された本格的な洋風建築です。室内の天井の灯火掛け部分には円形のレリーフが施され、2階ベランダにはアカンサスの葉を彫刻した「コリント式」の柱が並べられています。
警察署移転後は、「本庄消防団本部」、「簡易裁判所」、「区検察庁」、「本庄公民館」、「図書館」として利用されました。昭和47年(1972年)3月には、明治期の警察署庁舎として貴重であることから「県指定有形文化財」になりました。
昭和55年(1980年)には、明治41年(1908年)の写真などを手掛かりに復元・改修し、「本庄市歴史民俗資料館」になりました。敷地内には、1861年京都から江戸の将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮がこの本陣に1泊したという記録が残っている「田村本陣の門」があります。
令和2年10月15日「本庄早稲田の杜ミュージアム」が開館することに伴い閉館となり、現在は県指定有形文化財の「旧本庄警察署」として保存されています。
◆本庄早稲田の杜ミュージアム
本庄市にはたくさんの古墳があります。市のマスコットは埴輪の「はにぽん」です。
平成25年7月現在、全部で622基の古墳(現存271、消滅351)が確認されています。これは埼玉県の市町村の中では2番目の多さです。
◆「盾持(たてもち)人物埴輪」(6世紀後半・前の山古墳)
小島の「前の山古墳」から出土した「盾持人物埴輪(たてもちじんぶつはにわ)」は、本庄市マスコット「はにぽん」のモデルとなった埴輪です。全国的にも珍しい笑う表情を持っています。6世紀後半のものです。
◆「女子人物埴輪」(6世紀後半・前の山古墳)
このような笑う表情の女子人物埴輪は全国的にも出土例が少なく貴重な資料となっています。
小島の「前の山古墳」から発掘されました。前の山古墳は横穴式石室(古墳時代後期)を備えた直径24メートルの円墳です。
◆「琴を弾く男子人物埴輪」(東五十子23号墳・5世紀後半)
琴を弾く姿の男子像です。頭に被り物を着け、髪はおさげのような下げ美豆良で、後頭部側にも垂髪がみられます。
美豆良の付け根に小孔があり、何かを装着していたようです。
琴は6本の弦を粘土紐で表し、共鳴槽(きょうめいそう)も立体的に表現するなど、写実的な造形となっています。
◆「土師器(はじき)」(4世紀前半・鷺山古墳)
鷺山古墳(さきやまこふん)から出土された土師器です。口縁部と底部に穿孔があります。
鷺山古墳は浅見山丘陵と生野山丘陵(なまのやまきゅうりょう)の間の低丘陵上に位置する「前方後方墳」です。
葺石(ふきいし)はなく、埴輪も配置されていなかったようです。
◆「円筒埴輪」(4世紀後半・金鑚神社古墳)
「金鑽神社古墳」から出土された円筒埴輪です。「金鑚神社古墳」は、生野山丘陵(なまのやまきゅうりょう)から北東方向に所在し、直径67メートル、高さ7メートルの本庄市内では最大規模の「円墳」です。
この円筒埴輪の表面には、「格子タタキ技法」が用いられています。このことから、金鑽神社古墳の埴輪が製作された4世紀後半頃、本庄市内には、何人かの朝鮮半島出身の土器製作技術者が、埴輪づくりに活躍していたことが考えられています。
◆「縄文土器」
左の土器は、縄文時代前期前半・秋山中山遺跡から出土しました。
秋山中山遺跡8号住居跡は、本庄市で最も古い竪穴住居跡のひとつです。このような背の高い土器を深鉢といい、主に煮炊きに使用されました。(縄文時代前期前半の文様は、「羽状縄文」を特徴としています。)
※縄文土器の時期による文様の変遷についてはこちらをご覧ください。(PDF885KB)
【参考資料】
◆浅見山丘陵と大久保山遺跡
大久保山遺跡(浅見山古墳群)は、本庄市と児玉町にまたがる浅見山丘陵に位置します。
浅見丘陵は、児玉丘陵の流れをくむ残丘の一つで、秩父山系が浸食を受け平坦になっていく過程で取り残された高まりです。
西方には神流川が流れ、北方で利根川と合流し、南方には小山川が流れています。
浅見丘陵全体の大きさは東西約1.8㎞、南北約1㎞、台地との比高差は約40mあります。
丘陵の東側には2つの大きな谷津(北谷津・南谷津)が入り込み、北から3つの丘陵「浅見山」、「大久保山」、「塚本山」が西側で接続しています。
地名は武蔵七党の一つである、児玉党阿佐見氏に由来しています。
かつては山つつじが多く咲き乱れていたことから、地元の人々には「つつじ山」の呼称で親しまれていました。
(※WASEDA ONLINE 「大久保山~浅見丘陵の土地利用史~早大本庄キャンパスに眠る遺跡」より)
◆5つのエリア
ミュージアムは5つのエリアで構成されていました。
1 インフォメーション・ショップ
2埴輪の世界(市内から出土した埴輪)
3本庄の歩み(年表や映像)
4早稲田大学展示室(現在はオセアニア民族造形美術品)
5交流ひろば(地域の偉人パネルもありました)
◆オセアニアの民族造形美術品(パプアニューギニア)
早稲田大学展示室では、オセアニア民族造形美術品を公開されていました。
このコレクションは、今泉隆平氏が収集した資料で、鶴ヶ島市から2010年に早稲田大学に寄贈されたものとのことです。寄贈された作品の数は1089点。
この寄贈品は、新潟県石内村(現南魚沼市)出身の故・今泉隆平氏(1908〜1997)が収集した品々です。
(※鶴ヶ島市ご在住で「今泉記念ビルマ奨学会」を設立された今村清詞氏は、隆平氏の弟様です。)
パプアニューギニアので収集された、仮面や彫像、椅子、楽器など、精霊に関係する様々な作品が展示されました。
◆企画展「室町・戦国期の児玉・深谷地域」
早稲田リサーチパークの2階情報資料室では、「室町・戦国期の児玉・深谷地域」の企画展が開催されていました。
本庄市・美里町・神川町・上里町・深谷市・早稲田大学が連携し各地域から出土した考古資料が展示されていました。
◆本庄早稲田の杜ミュージアムのパンフレット